「意味などない」という教え

精神的、悟りについての学びをしていく上でこの概念にぶつかることがあります。
すべては空であり、意味などないというものです。

あるとき、スピリチュアルなことを教えている人の話を聞きに行ったときに、
「意味なんかないんだよ」
と喜々としてお話しになっていました。

しかしながら、聞いていてその解釈のニュアンスに危険なものを感じました。

だから、殺人を犯してもかまわない
だから、人を傷つけてもかまわない

という発展の仕方をする危険性があるからです。

私はこういうスピリチュアルな知識を現実に適応すると言うことに多大なる関心を持っています。
やたらと人を傷つけていたら、その因果応報に報いられてしまうことでしょう。
その場合にはどうして人を傷つけたいのかという思いの発祥ポイントを探る方が良いと思います。

対極のものの見方を身につける

意味から自由になるために、まずは対極のものの見方を身につけるという手法があります。引き寄せの法則の名著である「シークレット」に出てくるDr.ディマティーニのメインの手法のようです。

たとえば、とても好きで付き合いたいと思っている異性にフラれたとします。もしくは、全然うまくいかないなど。

ある側面から見れば、悲しい出来事でしょう。
思いが叶わず、辛い思いをするかもしれません。
もう二度と誰のことも好きにならないと思うかもしれません。
あるいは、何年もそのことを引きずるかもしれません。

しかし、物事には必ず、異なる側面があります。

もしかすると、もっと自分にふさわしい人が現れるために、その人とはうまくいかない必要があった。
うまくいかないことで、もっと自分を磨く必要性を感じ、それ以降の人生では思いがけない豊かな生活を送れるようになった。
人に優しくなれるようになった。
最後に結局うまくいったとき、すべては必然だったんだねと笑える時が来る(かもしれません)。
(ストレートにうまくいくより、ずっと人生が味わい深いものになります)

このように常に対極の側面にも目を向けるようにするのがよいと思います。

必要以上に意味づけしないというのは大変賢明な知恵だと思います。なぜなら、意味づけは必ず一つの価値判断基準に基づくものに過ぎないからです。そこに拘泥するだけでなく、そこから自由になる知恵が必要だと思います。

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