「あるのかないのか」という論争

先日あるワークショップに参加してきました。
ヴァーチューズプロジェクトという、52の美徳を世界に広げていこうというプロジェクトです。

そこで感動したのは、この世界にはすべてがすでにあるという前提で世界を見ていくと言うことです。決して、あなたにはこの徳目が足らないのでもっと身につけるように、などと促すためのツールではなかった点がいいと思いました。(使い方や捉え方でそうなってしまう危険性はありますが)

例えば、どうしようもないだらしない友人がいたとします。
約束を守らない。時間にルーズ。非常にイライラするかもしれません。
しかしここでは異なる見方をします。
「その人には自分に対する寛容があり、自分に対するゆるしの美徳がある」(解釈は一例です)
という風に、その人のいかなる状況にも必ず美徳があるという見方をするのです。これは素晴らしいと思いました。

※「責任」や「礼儀」の徳目が少し少なくなっているという見方をし、決してその人に問題があるかのような見方をしません。

この世界観はすばらしいと思います。
ないから探さなければならない、身につけなければならない、のではなく、すでにあるのですから。

あるをスタート地点にするのかないをスタート地点にするのかは決定的に重要な違いを生むように思います。
ありのままの自分は好かれないから好かれる努力をするよりも、ありのままの自分を好きになって、その上で好きなものを身につけていく、この方向性が大事なのだと思います。

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