禁止による悪影響

心理学でよく言われることですが、人は成長過程において様々な禁止を学習します。

比較的安全なレベルでは、
道に飛び出してはいけない
など、身の安全を守るために大いに役立つものもあります。しかし問題になるのは、例えば

自分が自分であってはならない
思っていることを言ってはいけない
感情を感じてはいけない

など、健康的な人生を妨げる可能性の高いものです。
戦後日本の高度成長時代では従順な人間が求められました。会社では、言うことを聞く人間が必要とされたからです。

しかし、経済の変化と共に、時代そのものも変化しています。

ひとつには、物質経済の飽和です。ものを作れば売れる時代はすでに限界に来ており、すでに必要なものは国民全体に行き渡っていますから、不況とも相まって作れば売れる時代ではなくなってきたのです。従って、経済の供給者側の視点から見ても従順な人間よりもクリエイティブな人間が必要になってきたと言えます。

禁止からの復帰

さて、自分の生きる目的を考え始めたときに、結局問題になってくるのはこの禁止です。

自分という人間はどういう人間なのか。何に喜びを感じ、何が好きなのか。知らなければなりません。にも関わらず、自分で自分がよく分からなくなってしまうのがこの禁止の影響です。一番問題なのが、親や周囲からこれが非言語でプログラムされることがあると言うことです。

例えば、幼少期に親に殴られたという人がいます。
これは、目にも見えるし物理的に間違いようがないものです。そのため容易に目で見た現象として他者に語ることが出来ます。例えば他者に話したときに「それはおかしい」と言われたり、共感や同情されたりすることを通して、自分の家の特殊性を客観的に知ることが出来ます。知ることが出来たら、手放すことも出来ます。(自分の子供には同じ事はしない、と決意することも出来ます)

しかし、なんとなく、雰囲気で○○してはいけないんだと感じ取り、自分に禁止するようになった場合はどうでしょう。親から子供へのプログラムは言語に基づくとは限らないのです
言われたわけではないから、認識することが非常に難しくなるのです。
認識が困難であれば、手放したりそこから自由になることはさらに難しくなります

この場合、まずは現状を客観的に把握するために一度自分の価値観や認識を言語化してみることをおすすめします。
言葉にするのです。
言葉に出来れば、自分ででも客観的に判定できることもありますし、人から指摘もされます。

とにかく、表舞台に出すことが重要だと思います。非言語のまま閉じ込めておくことはとても辛いことです。

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