「シャドー」の存在意義

人間にはシャドーというものがあります。

無条件の愛、100パーセントの愛で
完璧に肯定的に愛情を持って育てられた人であれば
ないかもしれません。

が、大部分の人間にはあります、このシャドーというもの。

これは、嫌っていて否定している自分の一部分です。

多くの人は、自分と対極にある特徴を嫌ったり、苦手に思う傾向があります。うるさく騒ぐ人と静けさを好む人がいるとすれば、お互いにあまりよく思っていないでしょう。

でも、そういう外の世界に見える現象は、自分の内面の反映です
自分の中の一部を嫌っていたり苦手に思っているから、現実世界でそういう人に対して同じ思いを抱くのです。

では、どうすればいいのでしょうか。

そもそも、正解があるのでしょうか。

自分の家族だったらどうするでしょう。
自分の子供が自分の嫌悪する特徴を持っていたらどうするでしょう。
逃げられない場所に、学びが用意されているように思います。

学びとは、何のためにあるのでしょうか。

私は、人が本来の姿に戻るためであると考えています。
自分とは何なのか。自分とは何者なのか。
そのテーマから逃げることはできないと、教えてくれているように思います。

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