罪悪感と許可

人は、生育過程の中で様々な禁止や制限を学習してプログラムされていきます。

〜をしてはいけない
〜をしなければならない
〜であってはならない

明示的に言われて身につけたものもあれば、
非言語的にプログラミングされて身につけたものもあるでしょう。

幸せになってはいけない
輝いてはいけない

というのもあります。

さて、これらの禁止や制限が多い状態から自分の人生を取り戻したいと思うとき、通る道があるように思います。
それは、罪悪感です。
かつて誰にも許可されなかったことをしようとするのですから、まるで法律を破るかのように罪の意識を感じることがあります。

罪悪感を乗り越えるときに必要になってくるのが、自分への許可です。

一般的に言って、この許可は自分で出すしかないようです。
なぜなら、他者から許可を出してもらうことが癖になると、他者の観念の中でしか許可を出せない危険性があるからです。
しかし、かつて誰にも許可してもらえなかったのに、どうして自分に許可などできるでしょうか。

個人主義をベースとした自立の考え方で行きますと以下のようにしかなりません。

そんな風に人に甘えるものではない。
自分の責任は自分で取るしかない。

しかしながら私は、分離独立をベースとした個人主義的発想は少し厳しすぎると考えています。

誰にも優しくしてもらったことがないのに、自分で自分に優しくなど出来るでしょうか。

私は何とか、北風と太陽のお話しではありませんが、太陽としてこのメッセージを伝えたいと考えています。
誰にも愛されたことのない人にさらに厳しく接するなど、非情なことであると思います。
そして、これが出来るのは境界線を越えられる人間でなければならないとも思います

 

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