心理学で扱われる因果関係

すべての人は、それぞれ自分なりの世界観を持っています。
人に好かれやすい世界観を持っていれば幸いでしょう。
そうでなければ、大変苦労することも多いでしょう。

取り立てて苦労することなく幸せに生きていける世界観を持っている人は、言い方を変えると、あまり心の問題について考える必要がない人生とも言えると思います。

私のところでは、後者のタイプがいかに人生を切り開いていくかに力を注いでいます。

因果関係

心理学でよく言われるのが、幼少期の家庭環境によってインナーチャイルドが傷つき、それによって大人になってからも生きにくさを抱えながら生きなければならないというものです。理想的な家庭が現実的にどの程度存在するのかは怪しいものですが、例えば無条件の愛情によって育てられた子供は自分の能力を100パーセント発揮できるでしょう

しかし、様々な条件から、愛情の欠損によって自らの可能性を制限することの方が現実的です。また、これは環境側の要因の問題でもある一方で、受け取り側(自分自身)の繊細さの問題でもあると言えます。

大変残念なことながら、ある種の人種的な境界線のようなものがあり、通常は自分の世界観に基づいて人は一生を終えてしまいます。なぜなら、「類は友を呼ぶ」という言葉に代表されるように、同じような考えを持つ人ばかりが集まって意見交流することに終始しているからです。

何の問題もなく健康的に幸せに一生を送れる人がいる一方で、人並みのレベルになるためにさえも多大なる努力をしなければならない人がいるのです。

できれば避けたいもの

ここで、大変よくある事例を扱いたいと思います。

例えば、人生を変えたいと考えたとします。例えば、友達が少ないことを苦にしてたくさん友達が欲しいと思っているとします。友達を作るためにはどうすればいいのか、ハウツーならたくさんありそうです。そのハウツー通りに振る舞えば、実際のところ、友達の数も増えるでしょう。休日に友達と出かけることも増えるかもしれません。

このまま、求めていたものが得られたと言うことで一生を幸せに生きることが出来る可能性もあります。
しかし一方で、これを何年か続けた後で、ヘトヘトになってすべてを投げ出したくなる可能性もあります。

何がこの違いを生むのでしょうか。

それは、ハウツーの奴隷になるかどうか、そこに尽きるのだと思います。奴隷になっていることの簡単な見極め方は、執拗に自分に強要していることと、他人にも無意識に同じハウツーを強要すること、また、そのハウツーを実践しているかどうかで人を判断するようになっているかどうかです。自分の可能性を広げるためのツールになるはずが、意図に反して奴隷になっていると言うことは、とても怖いことです。

因果関係を超えて

過去の体験から来る因果関係はとても強烈なものです。コアビリーフと呼ばれたりもしますが、自らの信念にもなり、人生を支配します。自ら望んだわけでもないのに過去の体験に一生を束縛されることがよくあります。

人は、この因果関係の中で成長しようとしたり、問題解決しようとしたりしています。

しかし、本当の自由とは、因果関係を超えて今この瞬間に自由に選択決断できることだと思います。これは、過去に苦労してきた人ほど難しい壁となります。過去に様々な探求をして身につけてきたもの、学習してきた様々な教え、メンターの言葉、価値判断基準、これらすべてが逆に障害になるからです。

囚われた心からはワクワクする躍動感が出てきません。ワクワクは自由な心だからこそ感じられるものなのだと思います。私を含め、人類全体が自由に生きられるようになることを夢見ています。

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