仕事から見る「自分は何者か」

多くの人は、就職活動であったり人と付き合う際に「自分は何者なのか」という問いに突き当たることになると思います。

今回は、仕事という側面から考えてみましょう。

現代において、多くの人々が従っている選択基準は「適性」「やりがい」「収入」「人にどう思われるか」「安定度」などではないかと思います。学校を卒業するか、もしくはしなくても、就職という問題が多くの人の前に立ちはだかるでしょう。

なぜなら、働くと言うことは、どう生きるかと言うこととほとんど同義語だからです。最も基礎的なレベルにおいては、生活費を得るための手段としての仕事という捉え方になるでしょう。

その捉え方の延長で行くと、収入は高い方がいいと言うことになります。生活費を得るために好きでもないことをするのだから、報酬は高くなければやってられないという考え方にもなります。もしくは、自己価値観が低い場合や様々な条件等で奉仕できるエネルギー量が低い場合には、あまり仕事を選べるような状況ではないかもしれません。

ライフワーク

脱線しそうなので話を戻しますと、「ただ生きる」だけが目的であれば仕事は何でも良いようなものですが、人は「より良く生きたい」と願う生き物です。思っていないとすれば、それは自分の想いに蓋をする習慣がいつしか信念に変わってしまったのでしょう。

ある種の人々は、いつしか目覚めます。「自分はこんなことをするために生まれてきたわけではない」と。いつの日か人生の終わりを迎えるときに、真に誇れる生き方をしていなければ、必ず後悔することになると事前に分かるからです。

その中の一定割合の人は、エゴの欲を満たす方向に走ります。「もっとお金が欲しい」「もっと人から認められたい」「もっと成功したい」「好きなことをして生きていきたい」これらの欲求は現状への不満から出てきたものですが、確かに努力の原動力としては相当なガソリンになることでしょう。アメリカンドリーム型、成功哲学型の努力も悪くはないと思います。お金の不安がなくなればとても自由でのびのびと生きていくことが出来るでしょう。大変素晴らしいことです。好きなことをして生きていくことも大変素晴らしいことです。

またある人は、自己探求を続けます。なぜなら「本当にやりたいことのために生きなければ、満足できない」ことを分かっているため、自分を知ることに時間を費やすのです。

自分とは何者か

本当にやりたいことのために生きるためには、自分が本当にやりたいことをまず知らなければならないです。

心理学的アプローチであれば、インナーチャイルドの声を聞き、彼・彼女の声に従い、大切に扱い、彼・彼女の傷を回復していくことで本来の自分を回復していくというアプローチが取られます。人間は生まれてきた瞬間にはゼロですが、生後様々な経験を経るうちに傷つき、制限され、本来の自分を見失っていくからであり、「失われた幼少期の元気なときの自分」を取り戻すと言うことは効果的なように思います。

一方で、このアプローチで特に最近クローズアップされているのが「癒やし」や「感情の回復」ではないでしょうか。どちらも、非常に根拠がありそうです。傷ついた過去があるから、癒やす必要がありますし、特に日本は感情を抑圧することが良しとされやすい文化ですので、回復させていくこと、感情を取り戻すというアプローチにはかなりの効果も期待できそうです。

ところで、不思議ではありませんか。

どこまで癒やされたら良いのでしょうか。完璧な癒やしなど存在するのでしょうか。感情を回復することが時代的にかなりクローズアップされていますが、今現在クローズアップされているそのアプローチは本当に絶対的なものなのでしょうか。特に、「○○心理学」や「なんとか流」などで大きく流行しているものはどれほどに普遍的な内容なのでしょうか。2年後くらいには全く別の流派や流行になっている可能性はないでしょうか?

流行廃りに飛びつくよりは、問題を本質的に捉え、扱っていきたいと思っています。

時代

またしても文章が長くなりすぎて書きたいことが書けない事態になってしまいました。(最近こういうことが多いです)

このところ感じるのは、人間というものは家庭環境の影響を多大に受けているものだということですが、その家庭環境は時代の背景を受け、歴史の影響を受けているのだと言うことです。

キーワードは「戦争」です。1945年の敗戦が、日本人のアイデンティティーにどのような影響を与えたのか、非常に大きな問題です。なぜかというと、その敗戦後の教育を受けた両親から我々若い世代が育てられているからです。無意識レベルで、言葉にされないレベルで、どれほどの影響を受けているでしょうか。どれほど本来の可能性を失い、精神性を破壊されたのでしょうか

私の主張は戦争賛成でもなく軍国主義賛成でもありません。理知的に取り組むべき問題だと思います。我々は何を失ったのでしょうか。我々は本来、何者なのでしょうか。本来の自分で生きられる世の中であれば鬱や自殺が社会問題になることもないと思います。何か、本来のアイデンティティーと外的欲求の間に無理が生じている証なのではないでしょうか

残念ながら今回も長くなりすぎてしまいましたので、この辺で。

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