直感はすべてに優先されるものか

日本では直感を大切にすることをとても重視する傾向があります。
それに気づいたのは、日本を出てからでした。

例えば、詐欺などに引っかからないために、
相手がとてもうまく話していたとしても、「なんとなく相手のことが信頼できなければ」その自分の感覚を信頼して、自分を守ることが大切だと言われます。

確かに、「オレオレ詐欺などはとても巧妙に仕組まれているので、ちょっとでも怪しいと思ったらその感覚を信じた方が良い」などの文脈において、それは正しいと思います。

直感が正しく機能しない場合とはどういうことかというと、あまりにも自己流の世界観に閉じ込められた場合で、すべてが自己流の解析になっているような状態だと少し判断の正確さに問題があると言えるでしょう。多かれ少なかれ人間というものは、余程意識した状態でなければ自己流のフィルターを通して現実を認識するものです。

自分の境界線を守ること

ある種の歪みや視野の狭窄(狭くなること)は、時として爆発的なエネルギーを生み出すことがあります。選択肢が極めて少ない絞られた状態になれば、「やるしかない」という自分を追い込んだ状態を作り出すことにもつながるからです。

その追い込まれた努力の状況は周囲から見れば理解に苦しむこともあるでしょうが、本人は至って真剣なのだと思います。この状態は自ら意図的に利用するのであればよいと思います。

戦後、我々(これを読む人はほぼ当てはまると思います)は個人の成長を重んじてきました。「」が強くなること、個の成長、自我の発達、個人主義、そういうものが重んじられてきました。私自身、個人主義的な思考方式が最善であると信じて疑いませんでした。また、人間関係に苦しむ人は、その苦しみ故に他者との境界線を強くしてきたことでしょう。ある意味、自分を守るためには仕方がなかったのです。

しかしまた、この境界線が人を苦しめてきたことも事実です。

個人主義的な文化は、一方で人と人とのつながりを弱めてきました。「私」を主張すればするほど、周囲との分離断絶が強化されると思います。だからといって、集団に埋没すれば良いわけではありません。

今までの人類は、人より抜きん出ようと思えば、個人主義的思考を強める方向にどうしても行かざるを得なかったのではないでしょうか。

総括

自分の考えや自分の世界観、視点に囚われている状態では、とても不自由です。その観点の中での競争があり、その観点の中での成功もあるのでしょうが、残念ながらそれでは他者とつながれないのです。

少し違う角度から今回の話しの整理をしますと、今まで「何となく」「直感を重視して」「自分の理解方式を重視して」生きてきたかもしれませんが、自分の理解方式を捨て去って相手の話を理解してみることも重要だと思います。

自分なりの理解方式で解釈して結論づけて終わりにするということをするのではなく、「真に相手が何を言おうとしているのか理解しようとすること」を試してみるのもいいと思います。本質が問われる時代では、単純な答えの暗記ではなく理解の方が重視されるのです。

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