囚われから自由になること

世の中で、活躍している人や賞賛される人がいます。
例えば、発明王のエジソン。
五体が不満足であるにもかかわらず活躍している乙武洋匡さん。
最近だと、一部でしか知られていませんが、女子高生でおもしろ動画(Vineという動画サイト)を投稿してかなり有名になっている大関れいかさんという女性がいます。(この投稿時点で全世界29万フォロワーがいます)

どれも共通しているのは、育てられた環境によって自己肯定感を強烈に高く持つことが出来、それを原動力として世の中に発信できていると言うことですね。

「愛」をキーワードにすると、人間のやっていることが分かりやすく整理できることがあります。

「愛」を十分に受けることが出来た人は(または、そのように感じている人は)、すでに満たされているためにその溢れるものを他者や社会に与えようとする動機が最初からあります。
しかし一方で「愛」が十分受け取れなかった人(または、そのように感じている人)は、愛を求めるが故に、常に満たされない想いを原動力として思考や行動をするため、例えどのような状態であるとしても根っこの部分では飢餓状態を内包していると言えるでしょう。

原因を見ることの重要性

ある活躍している人をピックアップして賞賛することは、結果だけを見て判断することになります。しかし本質は、その人を生み出した環境にどんな秘密があるのかを見ることが大切でしょう。その人がすごいと言うよりは、その人を生み育てた環境の方がすごいのかもしれません。

人間は自由意思を持っていると言われますが、本当に自由であると言えるでしょうか。生まれた直後に捨てられて、一切の愛を感じることなく生きてきた人が、何の外的きっかけもなく自由意思を発揮して愛情深く生きることが本当に出来るものなのでしょうか。

私は常に、恵まれなかった人がいかに可能性を取り戻せるのか、そちらの方に興味があります。恵まれた環境に育まれた人が恵まれた人生を送れるのは当たり前です。

もちろん、すでにいろんな情報が溢れているのが現代の世の中です。人生の路線をよいものに切り替える方法として代表的なものを取り上げれば、

  • 感謝する
  • 起こった出来事を肯定的に捉える
  • 過去の不遇な時代の悔しさをバネにして成功を目指す

などがあります。

しかし、これらは取り扱いを間違えるとただの強迫観念になります。過去に私も、「感謝しなければならない」という強迫観念を持った人や「何事も肯定的に捉えなければならない」強迫観念によって心の自由を奪われている人にお目にかかってきました。

自由が大前提でなければ、あらゆる努力が苦しくなります。すべてを選べる自分であり続けなければ、自分も他人も苦しくしてしまうでしょう。

しかし、自由というのは言語による定義づけが困難なもののひとつです。常にルールを破る傾向がある人がいたとして、その人は、ルールを破るという観念によって支配されており、自由でないと言えます。常にルールを破るのは自由ではなく囚われです。逆もまたしかりでしょう。

生まれ育ってきた経験や条件付けから自由になれることこそ本当の自由だと思います。そんな情報を今後も発信していきたいと思います。

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