有限アイデンティティ

人間にとってアイデンティティというのはとても大切なものです。
自分が何者か知らなければ、生きていく方向性に迷うでしょう。

アイデンティティを調べるとWikipediaではこのような内容が出てきます。

一部を引用すると、

青年期は、「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」といった問いを通して、自分自身を形成していく時期である。そして、「これこそが本当の自分だ」といった実感のことを自我同一性と呼ぶ。

というような記載が出てきます。

例えば、小さい頃に親を病気で亡くした子供が、そのようなことを二度と起こさないように医者を目指すようなことがあるでしょう。医学の発展向上に身を捧げることを自らのアイデンティティと定めることは容易に想像できます。

全く違うケースを考えてみましょう。裕福な家に育ち、親が何かの会社の社長をしていたりして物質と精神共に豊かに育てられたとすれば、当然のように自らを愛情豊かな人間として捉えますし、自然に人から好かれます。豊かさを当たり前のものとして捉えている人は、当然のようにそれを自らの人生でも叶えるのです。

さらに逆のケースも見てみましょう。貧乏な家に育ったが故に、お金を稼ぐことを自らの人生の至上命令にすることがあります。お金のあるなしで人を判断し、自分を判断し、その価値判断基準を持った自分としてアイデンティティを規定しています。

アイデンティティは人生を左右し、その根幹となるものであるが故に、それが明確に定まっていない状態であると多大な苦しみの元になります。

しかしここで、上記の記載では生まれ育ちや経験に基づいたアイデンティティの形成について言及しましたが、それだとアイデンティティはすべて自分の意思と無関係の環境によって限定されてしまいそうです

有限であることの限界

Aという経験をしたのでBというアイデンティティを形成しました、というアイデンティティの形成の仕方ではどこにも自由がありません。大切なのは自分の自由意思で決断できたかどうかと言うことも言えそうですが、では、自分とは何か、自由意思を発揮できる状態とはどのような状態なのか、そのようなことも欠かせない視点になってきそうです。

心理学に基づいた人間の発達モデルだけでは不十分だと思うのがこの点です。

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