知っている世界から自由になること

人間同士はどうして理解し合えないのでしょうか。

視野を大きく広げてみると、国同士の争いがあります。お互いの主義主張があり、自分たちの正義があるためになかなか分かり合うことが難しいです。

特に自分たちが正しいと信じ、その正当性をいかに主張するかに腐心していると、逆にますます相手から理解されないこともあるでしょう。日韓関係などその最たるものです。人間同士の関係に置き換えてみると分かりやすくはないでしょうか。自分の正当性ばかり主張する相手と仲良く出来るでしょうか。

従って、「正しさの主張」をしなければ自分を守れないという強迫観念からいかに自由になるかがキーワードだと考えています。そうでなければ、例えばAさんにとって、Aさんの積み上げてきた価値観を通してしか世界を見ることが出来ないし、その価値観によって対象をジャッジし、時には否定してしまうからです。

当然ながら世界にはAさん以外の世界観を持った人が多様に存在しているため、Aさんの世界観を通してしか見ることが出来ないというのは独裁主義者の考え方です。思想を統一することを良しとする統一国家ではこのような方向性となってしまうでしょう。

では、BさんやCさんの世界観はどうなってしまうのでしょうか。当然、否定されたBさんやCさんは反撃に出ます。もしくは、Aさんと関係を持つのをやめるかもしれません。

これが、今世界で起きていることではないでしょうか。そして、視点を転じてみれば、自分の身の回りで起こっている人間関係ではないでしょうか。

従って、多様性をお互いに認め合いながら価値観を超越して人と人とがつながり合う、そんな知恵が求められていると思います。

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