意思決定の判断基準

私たち人間は、「自分がどう思うのか」「自分がどう考えるのか」というのを重視する生き物です。人間にはそれぞれ価値基準があり、意思決定についてそれぞれのスタイルがあります。

エゴ・分離ベースの<自分>の意見が絶対に正しいと信じて疑わないケースもあるでしょう。あるいは、常に自分の意見に自信が持てず、外部の意見や情報に従ったり、振り回され続ける生き方もあるでしょう。どのようなスタイルであろうと、実際のところ、あまり自由ではありません。「自分絶対」のスタイルであろうと、依存型のスタイルであろうと、固定されている限りはとても不自由と言うことなのです。

自分の信念を貫く。信じた道を歩く。そのように表現すれば、頑固で人の話を聞かないというキャラクターも美しく見えることでしょう。

価値判断基準の拠り所

何を価値判断基準として持ち、何を信じて生きるかによらず、何かしらの拠り所がなければ人間は大変不安定な生き物です。従って、上記の文脈における<自分>がこの現実世界で生きようとする限りは、必ず何かしらの価値判断基準を持つと言うことになるわけです。究極を言えば、持たないようにしていたとしても、それはそれで持たないという基準を持っていると言うことになります。

自分の人格の成熟度は人間関係、特に家族に現れます。あなたが常に自分の価値基準を絶対視して他者を攻撃するというパターンを持っているのであれば、問題は全て相手にあるように見えて、相手を攻撃するようになるでしょう。表現するかしないかは関係なくです。

他者と本当につながるためには、自分の持っている価値判断基準から自由になれなければなりません。なぜなら、自分の価値判断基準に基づいてしか人と接することができないのであれば、あなたは必ず人に○×をつけ、値踏みし、ジャッジすることになるでしょう。

これは大変な困難を伴うこともあるでしょう。どれだけ経験を積み高い次元に達したとしても、特に家族や近い関係の場合は急にとてつもなく難しくなってしまうのです。

個の自立

人とつながるというテーマで考えたときに、西洋個人主義に基づく「個の自立」は絶対ではないと思います。かといって全体主義も違います。個人主義の問題点についてはまた別の機会に扱いたいと思います。

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