和の心

「一人で考えなさい。」
「それはあなたの問題でしょう。」

そんな風に言われるたびに、人は相談することが嫌になっていきます。心を開くことが嫌になっていきます。言われなくても、行動や態度でそのように表現されるというケースもあるでしょう。

この世界に対して基礎的な安心感を持たずに社会に出て、このような経験をしてしまえば、ますます自分の世界にこもることになってしまうでしょう。

さて、このような経験ばかり重ねてしまった人間は、あまり人に相談せず、何でも自分で決めるようになってしまう可能性が極めて高いです。そこで問題ですが、この人は社会的に自立していて賞賛されるべき状態であると言えるでしょうか。

何でも一人でできるようになることが、この世界において本当に重視され、価値を認められることなのでしょうか。自立とは孤独なのでしょうか

私は、それに対して明確にNOと言いたいです。

和の精神

日本はもともと、和の精神を歴史的に大切にしてきた国なのです。たかだか戦後70年、外部からインストールされた西洋個人主義が日本人のDNAに合うはずがありません。しかし、日本は、合うはずのない西洋個人主義でさえも受け入れることができた度量があったという風にも言えるでしょう。

さてここで問題ですが、和の精神とは過去によく言われたような「ムラ社会」的な、前近代的で閉鎖的なものを指すのでしょうか。それは違うと思います。閉鎖的どころか、本当の日本の良さとは、むしろ無限に相手を受け入れることができる精神性の高さや包容力にあると思います。個人主義的アイデンティティーでは本当に視野も狭くなり、「自分さえ良ければいい」という考え方に走りがちです。

日本人は、本来もっと大きなアイデンティティーを持っていたのだと思います。

巷でよく言われる考え方が一体どのような主義主張、価値観に根ざしているのか、棚卸ししてみることはとても大切だと思います。本当に自由に意思決定できる人間はそうはいません。必ず時代や環境によって影響を受け、それによって価値判断基準を醸成しているからです。

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