つながりによる動機付け

人は一人では生きていけないと、よく言われます。

確かに、誰かが作ってくれた家に住み、誰かが処理してくれた水道水を使い、誰かが売ってくれた食材を使って料理をしています。確かに、一人では生きていけません。

しかし、また別の観点で言えば、一人で生きていけるとも言えます。

会社員だろうが起業してビジネスをしていようが、自らの力を磨き、人に頼らず、自分は自分の責任を果たし、そのようにして対価を得て、その得たお金によって生活したとします。自立傾向が強い人ほど、一人で生きているような気にならないでしょうか。

食事

何でもそうなのですが、目的的に考えると食事などは別に吉野家にでも行けば空腹を満たされるわけです。「空腹を満たす」という事が目的であれば、誰と関わる必要もないのです。

では、「美味しいものを食べる」というのはどうでしょうか。これはもう少し条件が複雑になります。しかしこれも、お金さえ出せば美味しいものを食べに行くことが出来るでしょう。五感覚を満たすという観点においては、あまり人と関わる必要性がないという風にも言えます。

そこで初めて、誰かと食事をするという考えが生まれるわけですが、これは一体何なのでしょうか。なぜ人は、誰かと食事するのでしょうか。私は、人間という存在は原理的に出会いを求める生き物なのだと思います。それも、五感覚で満たされる食事などの物質的なものだけではなく、人との出会いというのは人間の基本機能として求めてしまうものなのだと思います。

つながりによる動機付け

イベントに参加する、商品を購入する、様々な行動を人間はするわけですが、対人関係を切り離した個人の自分としての価値判断だけでそれらを決定することはないのではないでしょうか。好きな人がいたり、信頼する人がいたり、そういった人との関わりが行動の動機付けになることが多々あると思います。

人間がsocialな存在であることは、否定できないことなのだと思います。もしその機能を失っているのであれば、取り戻さなければなりません。奪われたものは、取り戻さなければならないのです。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください