弱肉強食の論理と鬱・自殺の論理

今の世の中を見わたしてみますと、未だ弱肉強食の論理が蔓延しています。
私は田舎でニート・フリーターのような暮らしをしたこともありますし、都会で綺麗なオフィスの有名企業で働いたこともあります。ビジネスでお金を稼ぎ経済自由人となった人にも会ったことがあります。いわゆる成功しているカテゴリーの人にも会ってきました。

その生まれ、境遇、環境によって人間がどれほど違う世界を見ているのか、目の当たりにしてきました。そしてその見る世界の違いによって、それぞれの見る世界は決して交錯することがないことも理解しました。物理的な世界は一つのはずなのですが。

環境とは決して家の貧しさだけではありません。貧しくてもそれをバネにして頑張る人もいれば、愛情不足によって自己肯定感が持てず、それによって一生を棒に振る人もいます。目に見えない要素も多分に関係してきます。

いわゆる勝ち組の発想とは、弱者を依存させ、ビジネスの顧客にしてしまうことです。彼らに弱者の気持ちを理解することは出来ず、「自分と同じようにやればいいのに」というくらいの発想しか出来ません。全部自分が勝ち取ったと思っているかも知れませんが、それを支える環境がたまたま良かっただけと言うことに気づくことが出来ません。あるいは、苦しい世界観の中で必死にお金を稼いだのは良いものの、ベースの世界観が苦しいのでどれだけお金を手に入れても幸せになれない人もいます。

鬱・自殺の論理

ロボットやコンピューターは鬱にもなりませんし、自殺もしません。
それはなぜかというと、感情がないからです。
心の底で願う世界もないからです。

私は、鬱になる人や自殺する人の願う世界こそ、優しい世界だと思います。
この世界に絶望すると言うことは、裏を返せば、願う世界があるからなのです。
世界が優しくないから、絶望するのです。

どちらの願う世界が叶ったら、世の中はより素晴らしくなるでしょうか。
愛に溢れ、優しい世の中になるでしょうか。

世界は作られたものでもあり、これから作るものだとも言えます。
だとするなら、どんな世界を作っていくべきでしょうか。
今この瞬間、何を選ぶべきでしょうか。

この世界の進むべき道

どちらかを取捨選択するかのような、そのように書きはしたものの、二極化はこの世界の進む理想ではなく、統合されることこそが本質的な進むべき道だと思います。
それによって、勝ち組であり続けなければならない強迫観念からも解放されるのです。

そうであるからこそ、弱者が力を取り戻すこと、この革命を起こしたいのです。弱者が弱者でなくなれば世界はきっと変わるでしょう。誰かが誰かの犠牲によって成立する世界ではなく、ALL WINできる世界を作りたいのです。

私は、全ての人が対等に協力し合って素晴らしい世界を作り上げていけるような、そんな時代を作っていきたいと思っています。

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