自立の罠

この世界は非常に厳しい世界です。

という風に見ることもできます。

一方で、この世界は愛に満ちあふれた世界です、と見ることもできます。

一体、どちらが正しいのでしょうか。

もちろん、生まれ育った環境や接してきた情報などによって世界観は構成されていきます。

しかし、いずれの人もやがては成人し、大人として認定され、社会に放り出されます。

依存が許されず、自立していることが要求される社会です。

しかし一方で、依存する人は教祖型のコミュニティにはまりやすい傾向があります。

自立の罠

必要な愛情を注がれず、メンタル面で十分に健康とは言えない状態で社会に送り出されることがあります。

しかし考えてみてください。人は誰しも、この世に生を受けたときには完全な依存状態です。赤ん坊の頃から自立して全て自分で出来る人などいません。

であるならば、人が誰しも通る依存の状態を十分に享受できなかったとしたら、その状態で自立を要求するのは酷なことでしょう。このような実験もあります。

難しいのは、社会的に不公平な立場から人生をスタートする人がいるにも関わらず、誰も責任を取らないと言うことです。にも関わらず、自立するべしと言う要求は、誰しもに公平に降りかかるのです。

知る必要のあること

この世界でたった一つ誰しもが避けて通れない課題が、愛です。

大人になると社会の中での生存競争にさらされるため、そんなことを言っていられないようなこともあるでしょう。生きることに必死で、その意味など考えている余裕はないかも知れません。

しかし、誰かが愛を伝えなければ、この世界は砂漠のようなものになってしまいます。

砂漠の中を必死で生き抜くことを人生と考えている人がまだまだ多いと感じます。

誰もが等しく愛を享受できる世界を作ること。そのためには社会システムから作り替えなければなりません。教育も変えなければなりません。

そのためには、社会を変えるためには、団結の力が必要なのです。西洋の個人主義は、人と人をバラバラにしてしまいました。

72億人がNoを言えないVISIONがあるとしたら、一体それはどういうものでしょうか。

本来言葉で定義することなどできず、言語化不可能なはずだった愛をもし表現できるとすれば、それは一体どのような形によって実現するのでしょうか。

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