何に関心を持つか

少し個人的な話になります。

最近、と言っても去年からですが、昔とは一変して韓国ドラマをよく見るようになりました。

それも、世宗大王(根の深い木)やホジュンなどの大作です。日本ではあまり馴染みがないのですが、1時間相当の1話が全64話も続いたりして、とんでもなく長かったりするのが韓国ドラマの(特に歴史物でしょうか)特徴です。

日本では、正確には私も把握していませんが、全11話くらいが標準的ではないでしょうか。

もちろん韓国ドラマでも様々なものがあるので一概には言えないと思いますが、上記のものを単純比較した際に扱うテーマの壮大さが全然違う、ということを感じました。

韓国ドラマ(特に歴史物)

世宗大王にしても、文字を公布することに命をかけているのです。そしてそれは民衆のために、です。彼の敵となる存在もまた、命をかけて国の将来を案じて戦うのです。誰も、自分個人という単位のために戦っていないのです。その壮大なスケールはまた、何のために生きるのか、何のために命をかけるのか、というところに繋がるため、全11話では収まらないのだろうなあと思います。

ホジュンも、命をかけて医術を習得し、民衆のために尽力します。自分がよく思われようなどと言う動機がどこにもありません。

日本のドラマ

個人的な恨みに起因して復讐に人生をかけるとか、恋愛・結婚とか、仕事とか、扱うテーマが局所的ではないかと思います。扱われる単位が個人、小さな集団、組織、というように目先のことに関心が向くようになっています。

日本にはかつて、時代のことを常に考えている人がいました。真剣に日本の行く末について討論し、自分の信じたものに命をかけることは、かつてそれほど珍しいことではありませんでした。

かつてに比べ、日本は随分と小さな国になってしまったのではないでしょうか。それにはすべて原因と結果があります。すべてを成立させている仕組みがあり、メカニズムがあります。

分断・分離・境界線は、アイデンティティを小さくします。

自分のことだけ考え、周囲から奪うことしか考えない人をイメージしてみましょう。少し哀れな気がしませんか。共に栄えてこそ、人は幸せになれるのではないかと、何となくそんな気がしませんか?

そして人間は、本来そういう可能性の種を持って生まれてきた存在なのだと思います。

私は、日本人には大きなアイデンティティが似合うと思います。

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