アドラー心理学考察

巷である程度騒がれているアドラー心理学ですが、私も例に漏れず一応は見ておりますので、ほんの少し思ったことを書いておきたいと思います。

今回は共同体についての彼の考え方について見ていきたいと思います。

彼の考え方によれば、集団に貢献することが個人の幸せに繋がることである、という風に言われています。

確かに、私から見ても実際のところエゴ中心の発想が静まれば静まるほど幸福度が高くなると言うのは事実であると思っています。

しかし、「なぜそうなのか」という根拠の提示が弱いのではないかと思います。

エゴの処理について

実際のところ、集団への貢献をしているように見せかけてその動機がエゴ的発想だったりすると、結果的には幸せになれなかったりします。

例えばどうでしょうか。いわゆるブラック企業に身も心も捧げていれば幸せでしょうか。もちろん、ある種のエゴ放棄には幸福感のようなものが付随するのは事実だとは思いますが。

高い理念を掲げている経営者がたまにいますが、その人が経営する会社の実態がブラックだったりすることがあります。長時間の奉仕は、主体性から出てくるものであれば喜びになるのですが、強制的にやらされれば暴力的になります。アドラー的発想の「エゴ中心」から脱するにも、エゴを無視するようなやり方ではあまりうまく行かないように思います。なぜならば、我々は体、肉体を持ったエゴ的存在でもあるからです。

出来ない人

一方で、ではアドラー流で批判されそうな人、つまり、集団に貢献できない人は一体どうなるのでしょうか。エゴ的発想をする人は、「悪い人」なのでしょうか。反省し、悔い改めなければならないのでしょうか。そういうことではないと思います。

エゴが自分であると思わざるを得なかった環境や教育が起因していることを正しく認め、環境や教育から変えていくことが大切であると思います。

「アドラーが言うからきっとそうに違いない。」と思って盲目的信奉をしたりするのも違うと思います。有名な人・偉い人が言ったことが全部正しいとも限りません。(安倍総理の政策が全部正しいでしょうか。)出来ない自分を責めるというのも違うと思います。納得できなくても無理に集団に貢献しなければならないと言って暴力的に従わせるのも違うと思います。

全てを成立させる根本原理を知ることが最も大切なのだと思います。心から納得できたとき、無理をしなくても自然に貢献できる人間になっていると思います。

まとめ

結局のところ、アドラーの言っていることはかなり高い次元の人間心理の本質を突いてはいるのですが、彼の描写する結果の世界と、現実の世界の乖離を埋める、次元上昇のための論理体系が必要なのだと思います。人は、本当に精神性が高まり次元上昇すれば自然に人に奉仕するようになるのです。それを、内面がそうでないのに形だけ無理矢理従わせようとするから暴力的になるのだと思います。もちろん、「形から入る」というやり方もありだとは思うのですが。。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください