切らないコミュニケーション

昨日、いつもの美容院で、いつもの担当のお姉さんと韓国について熱く語ってきました。

その中で面白いなと思ったことがあるので紹介します。それは、韓国人のコミュニケーションです。

お姉さんは韓国にもよく旅行に行くし、韓国人の友達もいて、よく彼らの気質に触れることが多いそうです。

何でもあり

韓国人のコミュニケーションとして特徴的なことは、まず第一に何でも伝えると言うことです。

「相手を傷つけるからこれは言わない方がいいのでは。。」という本音と建て前の使い分けがないそうです。

そもそも、傷つけても怒らせても関係が切れないそうです

なぜなら、何を伝えようとそれはあくまでただの意見の表明であり、思ったことを言い合うことで関係を深めるという大前提の文化があるからです。

なんと、「あなたのことが好きではないので行きたくない」という会話も全然OKらしいのです。

日本では

一方例えば日本では、こういう話を聞きます。

既読にせずにLINEを読む必要性を感じている人がいる。

→返事したくないなら返事したくないと伝えるとまずいと思っている。あるいは、既読にして返事をしないと「返事したくない」という意思が明らかになってしまうため(まだ読んでいないという言い訳が出来なくなる)、そのような状況を避けるため、本音を伝達しないために努力する。

目的を告げずに「○月○日空いているか?」と尋ねられることを嫌がる人がいる。

→目的によっては断りたい。しかし、正直なコミュニケーションは相手を傷つけるかも知れないと思っているために、最大限本音を告げなければいけない機会を避けたい。

概して、本音をいかに伝えないかに心を砕いている状況があると思います。

残念なことに、どこにエネルギーを使っているのかという観点で見たときに、それは自己防衛と言うことになります。

しかし、もしも、相手を怒らせようと傷つけようと切れない関係性があったならば、コミュニケーションに対する意識はどのように変わるでしょうか。そもそも、なぜ相手を怒らせたり傷つけてはならないのでしょうか。自分の意見なのに?

繊細さと察する文化

私はずっと考えてきたのですが、今は日本の良さが悪い方向に働いている時代の現状があると思います。

それは、「察する文化」が悪い方向に働き過ぎて、「思い込みのコミュニケーション」になってしまっていると言うことです。

こんなことを言えば相手を傷つけてしまうに違いない。

こんなことを言えば嫌われるに違いない。

そんな風に思いながら、表現できずに消えていく想いがどれほどにあるでしょうか。

しかしこの恐怖はどこから来るのでしょうか。本来日本人が持っていたはずの美徳である「察する文化」というのは、このように恐怖をベースにしたものだったのでしょうか。

私は違うと思います。日本の美徳とは本来はそんな防衛本能から来るものではなく、本当に相手のことを考え慈しむ心から出ていたものではないかと思います。

個人主義や分断・境界線に根ざしたコミュニケーションが日本に浸透してくる中で、いつしか日本は「何かまずいことを言えば関係を切られてしまう」という恐怖を蓄積したのではないでしょうか。

今は、あるべき姿から少し横道にそれた状態なのではないかと思います。分離断絶によって恐怖を植え付けられたという風にも言えるかも知れません。

思い込み

思い込みは関係性の分断を招きます。

「どうせ自分は〜だから〜に違いない」

そう思って、本来確認すべき事を確認しなければ、自分の世界から出られなくなってしまうのです

あるいは、関係性の分断が思い込みを招くとも言えるかも知れません。

この世界は出会うために存在しているのに、それはあまりにも寂しいことです。

出会いの機能を失ってしまえば、生きる意味さえも分からなくなってくるでしょう。

しかし、日本人がそうなったのにも全て原因と結果のメカニズムがありますので、何よりもそれを理解することが大切だと思います。

ではどうするか

今の日本の現状は、次の時代に変革するための必要な圧縮なのです。

圧縮があるから次の爆発が生まれるのです。まるでエンジンの仕組みのように。

今の日本は、ちょうど次の時代を作り出すのに必要な圧縮、問題意識が高まっている状態だと思います。

苦しさがなぜ生まれるのか、そのメカニズムを知れば、きっと解決策も見つかります。

人と人が本当に出会える時代を、私たちはNRグループは作っていきたいと思っています。

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