理解と暗記

学校教育の弊害として起こりえることとして、特に、自分の場合そうだったという事もありまして、このテーマで書いてみます。書くたびに少しずつ深さや光を当てる角度が違うので、同じようなことを繰り返し書いていることがありますので、そのあたりは悪しからずご了承願います。

中学や高校生で、勉強することの目的を「いい点数を取ること」に設定した場合、その目的に対する手段としては、「とにかく理解できていなくても暗記していれば良い」という風になってしまいます。

学問の成立起源を辿ったとすると、本来は「なぜ」の追求から発生し、様々な研究や試行錯誤の末に様々な知恵や知識が蓄積されていったものと思います。質問が先にあり、答えはその後に来るのです。

原理的に考えること

例えば、高度経済成長時代においては、クリエイティビティよりもロボットのように判で押したような量生産型の社員が好まれます。それはなぜかというと、作れば売れる時代だからです。作れば売れるので、文句を言わず長時間労働する人材が好まれます。

しかし、人口が下降減少にありモノが溢れ、作れば売れる時代が終わってしまった今、求められるのはクリエイティブに考えることが出来る人材です。なぜなら、より生産価値を高め、ニーズを作り出し、差異化を明確に出来なければ商品が埋もれてしまうからです。何らかの点で尖っていなければならないのです。

これはつまり、社会にとって必要な人材像が時代によって異なるということです。従って、例えば40年前に正解とされた価値観に基づいて人材教育をすれば、今の時代にそぐわなくなってしまうということになってしまうのです

これはつまり、学校教育や、子供に関わる大人の姿勢として大切な要素になってきます。

子供に何かを聞かれたとき、「これはこういうものだ」といって相手の考える力を奪い、押しつけるような教育をしてしまうと、時代に適応できない子供を作ってしまう可能性があるということになるのです。

考える力を奪われた子供であっても学校で良い成績を取れるかも知れませんが、そこでいう「考える」力とは単純にコンピューターのような処理能力に過ぎません。人間が本来持っている「考える」力というのは、コンピュータの情報処理能力とは異なると考えています

そうでなければ、発達した人工知能によって本当に人間の職が奪われる時代が来るかも知れません。

人間にしか出来ない「考える」力とは何なのか、それを取り戻す時代が来ているのだと思います。

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