出会いの濃度

現代人は特に、大量の情報にさらされている現状があります。

約20年前にインターネットがまだ普及するかどうかの頃までは、まだ情報収集の手段としては書籍やテレビなどのメディア、あるいは人づてで得る情報などがメインでした。

それが現在ではどうでしょうか。ありとあらゆる情報がインターネットを通じて手に入り、ものすごい量の情報にさらされています。もっとも、そのような弊害を避けるために情報に接する機会を閉鎖させている人もいることでしょう。一時期、テレビを見ないことがインテリ風であるような風潮もあったと思います。

話しは根源的なところに遡るのですが、人間はこの世に生を受けて、つまり、生まれてきて、その瞬間、その赤ちゃんは人生をいかに生きればいいのか知りません。つまり、人間とは、何も知らない状態で生まれてくるという風に言えると思います。つまり、ゼロです。

このゼロ状態から様々な環境や学習によって生き方、振る舞い方、考え方、~の仕方など、山ほどの情報を学習して生きていくことになります。

大量の情報

ある情報ソースによれば、現代人はたった一日で江戸時代における一生分の情報を得てしまうほどの情報にさらされているようです。

情報が多いとどういうことになるのでしょうか。

相対比較がより増えていき、ジャッジすることが増え、知識によってがんじがらめになり、どんどん自由でなくなって行ってしまいます。

現代は人間関係が希薄になっているという風潮もあるため、例えばパートナーシップを良くするために大量の情報やハウツーを身につけると言うこともありそうな話しです。

しかし、不思議だとは感じないでしょうか。

人生をより良くするためにたくさんの情報を身につければ身につけるほど、本来の自分とはかけ離れていくのを感じないでしょうか。大量の鎧を身につけたAさんは、一体何者なのでしょうか

ゼロ化する技術

複雑化する情報化時代が進めば進むほど、その時代背景から、全ての複雑をシンプル化する認識技術が必要となってきました。

幸せになるために複雑な知識が必要だと考えるのはまやかしに過ぎません。それは自己顕示欲の結果かも知れません。自己顕示欲は、受け入れてくれる人がいなければ成立しません。自分はその相手の承認によって初めて存在が満たされると言うことになってしまいます。相手はただ合わせてくれているだけかも知れません。

本当の究極とは極めてシンプルな世界です。そのため、その素晴らしさを語る多くの言葉はありません。ただ言えることは、その究極のシンプルを共有した人間関係は人間の無限の可能性を引き出せると言うことだと思います。

これからの時代に、人間が必要とするのはもはやモノではなく、心の豊かさなのだと思います。これほどまでに科学技術が発展し、モノが溢れたからと言ってそれが幸せだとは言い切れません。5感覚を満たしただけで幸せになれるというのは物質主義の限界です。それを超える幸せは心感覚だと思います。

幸せはモノからではなく、認識から生まれます。お金が○○万円あるとか、友達が○○人いるとか、そのような数字や客観的評価基準だけで本人が本当に幸せを感じるかどうかは別の話です。つまり、全ての複雑をシンプル化し、心感覚を次元上昇させる認識技術が必要な時代になった、と言えると思います。

自分をがんじがらめに縛る知識やハウツー、過去の経験に縛られる脳機能から自由になった時に、今ここの出会いの濃度を濃いものにすることが出来ます。結婚したら、パートナーが出来たら、濃いコミュニケーションが出来るわけではありません。

その認識技術が完成していることは、本当に時代の希望であると思います。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください