幸せの本質

たまには私自身のことについても書いていきたいと思います。なぜならば、私という人間の人間性、考え方がどういうものなのか、知りたい人もいるでしょうから。

願望達成の追求の末

私は一時期、何をどうすれば幸せになれるのか、願望達成について研究&実践していた時期があります。その結果気づいたことがあります。それは、、

お金をいくら手に入れようと

友達が何人出来ようと

何を手に入れようと

幸せになれないことに気づいたのです。

なぜなら、幸せとはそれを幸せと感じる感性から生まれるものだから」です。

友達が10人なのか、11人なのかで幸せのレベルが異なるなどと言う評価尺度はバカげていると思います。極端な話し、俗世を離れて仏門に入ったり、山にこもって一人で修行したり、それが幸せなのかどうか、比べるものではないと言うことです。そもそも、幸せであるべきだという考え方さえも「ねば・べき」観念に過ぎないと考えています。

条件状況

決して、本質的な見地から見れば○○という条件状況が叶ったら幸せになれるというようなものではないと思います。

世間的に見て幸せだとされている外的特徴や条件」を手に入れて幸せを感じなかったら一体どうするのでしょうか?一生懸命勝ち組であることを演じ続けるのでしょうか?

外的評価基準がどんなものであろうと、あなた自身がそれを感じていないのであれば全く意味がないと私は思います。

私は自分の根幹部分にある信念部分にかなり強烈な自己否定や自己批判が初期プログラミングされているため、この信念を持ち続けたままでどんな願望を達成したとしても決して幸せになれないことを分かっていました。従って私の場合、何かを手に入れるタイプの願望達成で幸せになれないことを確信を持って分かっているのです。

私が欲しかったもの

私は、もし手に入れられるのだとしたら、この自分が好んで身につけたわけでもない否定・批判の強烈な信念、脳の癖をすべてリセットできる認識技術、ゼロ化技術が欲しいと思っていました。過去のトラウマを全てゼロ化できるのであれば、その時やっと私は私自身になれると思っていたからです。(それは観術に出会ったことで追求は終わりました)

私のような本質を追究する人はあまり多くないようで、どうしても数字や華やかさ、外見的特徴やパワフルさなどに人は惹かれるのは承知しています。私のようなタイプはタイプ分類的に言えばネガティブ依存系と言われ、極端に言えば本質にしか興味がないタイプです。従って、世の中の成功哲学系の方とは根幹の部分から考えが合わないことがしばしばあります。

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