自分がどういう人間なのかを考えるときに、経験の蓄積や自分の認識・行動パターンを差して「これが自分です」と言いたくなる気持ちは分かります。
Aという経験をして、その結果Bという性格になりました。あるいは、Aという経験をバネにしてCという性格になりました。
と言う風に自分の性格やアイデンティティーを語ることが一般的だと思います。
芸能人
ちょっと一風変わった切り口かも知れませんが、例えば芸能人を見てみましょう。例えばダチョウ倶楽部は必ずXというアクションをして、Yというキャラクターであることを売りにして宣伝し、人気を博するとします。
ここではこのXとYがダチョウ倶楽部のアイデンティティーと呼べる気がするかも知れません。他者から認識されるのに、パターンがあった方がいいと思っていると、このようなことが起こります。
しかし、パターンとは果たして自分のアイデンティティーと同一なのでしょうか。パターン=アイデンティティーなのでしょうか。
実はそんなことはありません。それは心の構造を理解していないから起こる認識誤認です。
無限のアイデンティティー
人間のアイデンティティーとは本来無限の可能性であり、決めつけることの出来ないものなのです。
学問的探求、心理学的哲学的探求方式だと、本来の自分の可能性に到達するのに帰納的思考方式という方式をとることになります。材料を集めて、知識を集めて、本当の自分へと到達するプロセスです。
しかし、今の現代は本当の自分に到達するのに時間をかけるよりも、最初から答えを知った状態で人生を進めた方がいいと思います。それだけ、地球上で起こっている問題が解決が必要で、自己探求に時間をかけている場合ではない時代になったと言えるのではないかと私は考えています。
答えを知った状態で生きるという思考方式が演繹的思考方式です。これが観術の教えている認識方式なのです。
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