カウンセリングの限界

私は、いわゆる青年時代に、あまりにも悩みが深かったため、精神科やカウンセリングのお世話になりました。それだけでなく民間療法や般若心経の写経もやってみました。

簡単には説明できませんが、心・感情・魂が死んでしまっていたため、なんとしても蘇らせたい、そんな風な必死な思いがありました。

 

しかし、どこに行っても何の役にも立たないのです。

話を聞いてもらっても、共感されても、受容されても、肯定されても、そんなものは私の闇の深さの前には1ミリも役に立ちませんでした。従って、私は心理カウンセリングには一切期待していません。

どうすれば良いのか、答えを求めました。

 

たいていの自立志向の人は、「答えは自分の中にある」と言います。

しかし、私はこれは不十分なアドバイスだと思います。育ちや環境起因によって精神や魂を破壊され尽くした人間は、自分の中に答えを見いだす力を失っているのです。それはまるで、愛されたことのない人が自分の中に愛を見いだすような、不可能な要求だと思います。

 

私は、究極の依存にいる人さえもその力を取り戻せるような、そんなサポートが出来るような人になりたいと思っています。

そしてそれは、体の自分を自分と思うような、そのようなアイデンティティでは絶対に不可能なことなのです。従って、私が理想とするカウンセラーにとって悟りを得ることは絶対的な必要条件なのです。

私がやろうとしていることは、心理学やスピリチュアルを超越した絶対真理の世界です。だからこそ、先人がいないのです。しかし、私は、それが絶対に可能だと思っています。なぜならそれが真理だからであり、時代がそれを求めているからです。

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