責任

”責任”という言葉があります。

よく、”自由と責任は表裏一体”などという言い方をします。

人生を台無しにしてしまうほどのトラウマや心の傷を負った人にとって、その影響から自由になることは容易ではありません。しかし一方で、そこまでのひどい傷でなければ、そこまで影響されないと思います。

そして、その傷の深さは、他者からは見えないのです。何かをした、何かをしなかった、などという、第三者から観察可能なものであるとは限りません。なぜならば、それは感じる世界だからです。感性の問題なのです。

トラウマが深くても、浅くても、幼少期の経験によって認識や行動、感じ方のパターンは出来上がります。そのパターンが現実の人生を過ごすのにそれほど支障にならない人もいるでしょう。しかし一方で、身についたパターンのお陰で人生が台無しになる人もいると思います。

従って、必要となるのはいかなる経緯であろうと、パターンから自由になれることだと思います。

自由でもないのに責任なんて取れません

かつてイエス・キリストは言いました。

父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

人は、自分が何をしているのかなど、分からないのです。

自分を知るためには自分の外に出るしかありません。

私は、人生をかけてこの追求をしてきました。

この作業は、一人で出来るものではありません。

誰にも愛されたことのない人が愛を知ることが不可能であることと同じ事だと思います。

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