楽をする

例えば、仕事を選ぶときに、「楽な方がいい」という観点があります。

楽をしてたくさんのお金を稼げたら良さそうですよね。私もそんな気がします。

共産主義

ところで、一転して話が変わるようですが、先日ある方のお話を伺いました。世界各国50カ国を旅し、実際に海外で何年も住んだり仕事をしたりもしてきた方でした。その方のお話として特徴的だと思ったのは、共産主義国の人は論理が支離滅裂であることが傾向としてあると言うことでした。

少し決めつけと思い込み、そしてその方の観点も入った上でのお話しとして聞いて頂けると嬉しいのですが、つまり要点はこのようなことです。共産主義では頑張っても頑張らなくても給料がもらえるために、頑張らなくなるそうです。そして人々は怠惰になり、論理性さえも失われていくそうです。その方のお話によれば、論理が独善的すぎて、まともに議論する段階に達していないように感じた、と話されていました。

転じて日本

では日本はどうでしょうか。論理性は尊重されているでしょうか。自分で考え、自分の論理を主張することが歓迎される世の中でしょうか。実際のところ、そんなことはないと思います。会社の中でいちいち思ったことを言ったとしても鬱陶しがられたり、抑圧されたりして、それを取り上げて議論しようと言うことは平均的な会社の風土としては見られないと思います。(一部企業にはあります。もちろん。)

楽をする

楽をしてお金を稼ぐ。それで一生を通じてお金に困らず、死ぬまで安泰という生き方は、もちろん絶対真理から見れば良いも悪いもありませんし、それはそれです。ただ、私の視点を入れてみたときに、そこに「生きる喜び」はどこにあるのだろうか?という疑問が湧きます。

それに、楽をするというベクトルで願いが叶ったとして、それのどこが幸せなのかと疑問に思います。もちろん、バングラデッシュで過酷な労働にかり出されている若い女性にとってみれば、楽になることは喫緊の問題です。そうではなく、ここで訴えているのは、「生きる喜び」の話です。

全体を通して思うのは、創造主として自分の全てを出し切り、世の中に喜ばれ、その循環としてお金を受け取るという本来のあるべき資本主義の姿に近づくことが地球人としてALL WINに向かうべきベクトルなのではないかと思います。

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