個性の尊重

「個性」というと、一般論的には”尊重されるべきもの”として扱われそうな概念です。

しかし、個性とは一体なんでしょうか。

こういう例

「私はどうせ人から好かれない。」

という自己否定の傾向を持っていることも個性でしょうか?

「私は無口な人間です。」

というのも個性でしょうか?

後天的プログラム

私が考えているのは、後天的にプログラムされたものは個性ではないということです。なぜならば、メカニズムで考えたとき、「人から好かれない」という思い方の癖は、生後どこかの段階で「身につけてしまった」思い方の癖に過ぎませんし、「無口な人間である」というのも、例えば幼少期に親に十分関心を払われないことで人間関係に絶望したのかも知れませんし、話を聞いてもらえる環境がなかったのでただ単に人間関係はそういうものだという思い込みを形成し、パターン化しただけかも知れません。

後天的に身につけたパターンが人生を生きる上で役に立つものであれば結構なことですが、そのパターンによって苦しめられることが往々にしてあります。それでもそれを個性と呼び、尊重するのでしょうか。

もちろん、何をどう考えようとどう呼ぼうと自由ですので、個性と呼んでも私は差し支えありませんが、私自身は、それを「自らの可能性を喪失している状態」だと定義しています。つまり、本来の自分の可能性や力を失っている状態です。

「私は好かれない」なんていう思い込みパターンを持ちながら必死に生きることは非常に苦しいことでしょう。厄介なのはこのあたりの信念体系はかなり無意識化されていると言うことです。自覚がないことが多いでしょう。なぜならば、その方にとってはそれが当たり前だからです。だから苦しいのです。

失ったものは取り戻せばいい

私はそう考えます。

奪われたものは、取り返せばいい。取り返せるのです。

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