ES細胞

最近読んだ本の中から面白いと思ったトピックを紹介したいと思います。

「動的平衡」福岡伸一(木楽舎)です。

ES細胞について描写された気になる部分のみ簡単に引用いたしますと、

ES細胞のESとはエンブリオニック・ステム(セル)の略で、胚性幹(はいせいかん)細胞のことである。(中略)それぞれの細胞は将来、何になるかを知っているわけではなく、また知らないままにあらかじめ運命づけられているわけでもない。(中略)胚の内部で、細胞はお互いにコミュニケーションしながら、将来、身体のどの部分を担当するのか役割分担を決めていく。これを分化というが、細胞塊をばらされてしまうと、当然のことながら細胞間のコミュニケーションはその瞬間、失われてしまう。一つずつ離れ離れにされてしまった細胞はまわりの「空気が読めなくなる」のである。その細胞は、周囲の細胞とのコミュニケーションを絶たれているので、自分が何になるべきか分からず途方にくれている

大変面白い描写ではないでしょうか。

関係性

私は、様々な心理学、哲学、人生論、人間関係、ライフワークを研究する中で、ある一つの揺るぎない結論に達しました。それは、人の人生は関係性の中で決まっていくということです。人は誰しも、この世界に生を受けた瞬間は無限の可能性です。何の方向性も与えられていません。過去生を主張する向きもあるようですが、必要以上に根拠のないものに傾倒するのはあまりよくないと考えています。

この無限の可能性である私たちは、この世界に生を受けた瞬間から出会いにさらされます。具体的には最初の10ヶ月は母胎でしょう。胎教という言葉があるように、母親とのコミュニケーションから始まります。出産後は、それ以外の親族や周囲の環境との出会いにさらされるでしょう。ここでの関係性によって人生が決定的に方向付けられてしまうのです。

この初期段階の関係性に躓けば人生の方向性に迷うことにもなります。まともに交流することが出来ず、コミュニケーションが絶たれた状態では、つまり、バラバラの状態では自分が何者なのか知ることさえ出来ないのです。しかし、それでは、「まともに交流する」とはどういうことなのでしょうか。そもそもコミュニケーションとは何なのでしょうか。出会うとはどういうことなのでしょうか。

情報によって可能性が制限される

昨今は類い希なる情報化時代です。コミュニケーションについても「〇〇するべき」「〇〇した方が良い」などという情報が散乱しています。人は皆自分に自信などありませんので、こうした情報に飛びつくことになります。自分に自信があったとしても偏っていれば同じ事です。つまりどういうことなのかというと、「ありのままでいられない」ということです。ありのままでOKとは思っていないので自分以外のものになろうとするのです。しかし、そもそもありのままとは何でしょうか。その定義は何でしょうか。この先、そのあたりについても書いていきたいと思いますが、まず今回のテーマに沿った書き方とすれば、その情報によって自分という存在が歪められ、まっすぐに相手と出会えなくなっているという現象が起こりやすい時代であるとも言えると思います。

常に演技していたら、相手から見てあなたが一体何者なのか分からなくなることでしょう。本音を語らないことが常態化していれば、相手はあなたと出会うことが出来ません。悪いことに、そんなことをしている内に自分でも何が本音かさえも分からなくなるでしょう。一体いつ本音を語るのでしょうか。

まとめ

などと書いているうちに少し脱線が過ぎたかも知れませんが、出会いとはとても大切なものです。ただし、ある種の人はそれを失っていることに気付くことが出来ないかも知れません。何も感じなくなればそうなることもやむを得ないでしょう。しかしまた、傷の多すぎる人にとって人間関係は苦痛の多いものにもなり得ます。それ故に、そこから自由になること、そこから力を取り戻すことが重要なのだと思います。

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