作られた個性

先日、ある家族とわずか30分ほどですが、一緒の時間を過ごすことがありました。その場にいたその家族のメンバー構成は、娘、母親、祖母、父親の4人でした。

とても賑やかな家族でした。みんな好き勝手に自分の思いを発言していて、それこそ、「考えるよりも先に言葉が出る」という状態でした。思い思いに自分の思いや意見を口に出していて、とても楽しそうでしたね。

それを見たときに、どうしても「それに対して自分はどうか」というのを考えざるを得ませんでした。

物心つく前の幼少期はあまり記憶に残っていないのですが、小学校高学年から中学校に入学する頃にかけて、すでに「考えすぎてしまう癖」がついており、思ったことも言えない状態になっていました。考えすぎて行動力もなくなっていました。何も言えず、何も出来ない状態になっていたのです。

さて、それは個性でしょうか。

それは違います。環境によって身についたプログラムです。生きていくために仕方なく身につけた、生き抜く術とも言えます。私は、その家庭環境で生き抜くために全ての表現を無くすしかなかったのです。メンタルヘルス的な意味では最低な条件ですが、その時の私は生存を最優先させたのだと思います。

否応なく身につけてしまったプログラム。それはすべて環境によって構築されたものだと言うことが本当によく分かります。

人によってはこの社会を生きて行きやすいプログラムを最初から身につけた人もいるでしょう。そう言う人は、あまり自由になるゼロ化の意義を感じにくいかも知れません。

しかし、そのプログラムによって人生の可能性を奪われ、表現を奪われ、力を奪われた人にとっては、それらプログラムから自由になる技術が絶対的に不可欠です。

しかも、私が求めているのは、例えて言うなら

・貧乏な家に生まれたから金持ちを目指す

・Aというマイナス経験をしたからBという対極の状況を目指す

というものではなく、本当にゼロ化して自由になることなのです。なぜなら、Aを✕だと考えてBを○だとするのであれば、必ず人間関係で躓くでしょう。人生をよくするためと考えて必死に努力しているつもりが、自分の中のジャッジを強化させ、人間関係の中で発生する投影の問題から逃げられないのです。普通の人はこのことを理解できない人が多いですが、私にはよく分かります。

だからこそ、観術の次元上昇が必要だと言うことが分かるのですが、申し訳ないですが、今現在の私がそれをまだ体得できていないことがよく分かりました。ですので、今しばらく継続して取り組みたいと思います。

もしそれが伝達可能なレベルまで体得できたならば、これは世界最高の究極の技術であると確信しています。

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