言葉に乗せるもの

先日、とても不思議な経験をしました。

ある極めて珍しい経緯で、ある高校の母親とお話しする機会がありました。その高校とは、名前こそ書きませんが、都内屈指の有名校、歌舞伎役者や医者を輩出し、その高貴さから有名だという高校だそうです。(それまで、その高校の存在を知りませんでした)

その母親とお話ししたのは、時間にして約10分ほどで、それも、仕事で必要な事務的会話に加え、ほんの少しのねぎらいの言葉。たった僅かな時間の、ほんの短い会話でしかありませんでした。

なのに、その会話が終わった後、なぜか涙が出てきて、止まらなくなったのです。

なぜそんなことが起きたのか。私は分析しました。その方は、立ち居振る舞いから常人とは異なっていました。その雰囲気の違いは、最初一目見た瞬間に分かりました。しかし、人の心を揺さぶる会話というのは関係性の上に成立するもので、単体での存在で出来うるものではありません。言葉を発するタイミング、言葉の選び方、言葉に乗せるエネルギー、全てが、完璧な関係性の上に発せられるものだからです。

こんなことは常人に出来ることではありません。通常自分の世界の中、思い込みの中にいるような平均的な人間には、このような高いレベルの関係性は構築できません。

普通の人は、自分の使う言葉に対してものすごく鈍感です。時として相手を不快にさせていることにさえ気付かず、自分の世界観を押し付けるだけに終始し、それが会話だと疑わない人もいるでしょう。

でも、真に相手に対する気遣いの出来る人というのは、自分を消せる人なんだと、改めて感じました。相手にとってベストなタイミングを見極められると言うことは、自分の思い込みを消せると言うことと同義だと考えています。

言葉やアクションは、その動機や背景が空虚なものであっても表面上は同じようなものに見えます。ですが、見る人が見れば分かるのです。感じられる人が相手だと、分かってしまうのです。なぜそれをするのか、なぜそれを言うのか、自らの動機の一番起点になるものまで整えておかないと、分かる人には全て見透かされてしまうのです。

話を戻しますが、恐らく、その母親は言葉や態度という表面上のものではなく、言葉に乗せて何を伝えるのか、というところまで普段から気を配っておられるのだと思います。だから、表面上は普通の会話であるにも関わらず、相手の心を震わせることが出来るのです。そのくらい、ありとあらゆる関係性を大事にしておられるんだろうなあと思いました。そこから出てくる言葉だから、全然違うのです。

そう言うのは、実はとても大きいのです。その出来事でその高校のファンになりますし、恐らく、いつかその高校出身の医者だという人に会ったとしたら、なるほどこの高校だからこのように人格的に大変高いレベルなのだと合点がいくでしょう。などと言うことを思った出来事でした。

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