人は皆、思い込みの中

3人寄れば文殊の知恵」という諺がありました。

凡人であっても三人集まって考えれば、すばらしい知恵が出るものだというたとえ。”です。(参照

では、現代の我々のコミュニケーションとは、本当にこの諺のように人が集まり、意見を出し合ってより良い知恵を編み出していくようなプロセスを踏んでいるでしょうか。

そのような活発な場も存在するかも知れませんが、まだまだ世の中全般的にはそのようにはなっていないと思います。そもそも、人が全体的に対等に意見を出し合って話し合える世の中になっているのであれば、戦争は既に無くなっているはずです。そうではなく、未だ人類は自分の価値判断基準や思想体系、そして自らの思い込みによって他者を刺し、攻撃し、支配しようとしているのです。

「合わせる」という言葉があります。何か複数人が集まって意思決定をするときに、誰かは意思主張することを止め、その他の誰かの意志に従うことです。ちなみに、私は別に合わせることを悪いと言いたいわけではありません。

「合わせる」という言葉には、本質的に「3人寄れば文殊の知恵」とは真逆の思想が含まれています。つまり、話し合ってよりよい結論を導き出そうとするのではなく、誰かが誰かの意志に従うと言うことです。

例としての就職

原則として誰もが逃れられない「就職」について考えてみましょう。アルバイトでも、パートでも同じ事です。

契約行為とは本来対等な人間同士が結ぶもののはずですが、なぜか今の日本では、採用の際に交わす労働契約書は多分に「奴隷契約書」のニュアンスを含んでいます。私が10年間所属してきたシステムエンジニアの業界においても、いったん契約したが最後、まるで24時間プライベートまで差し出せと言わんばかりの力関係がそこには存在していました。

しかし、現代の人間は未だほとんどが「生活費を稼がなければいけない。そうでなければ生存を維持できない。」という課題をクリアできておりませんので、その根源的危機感をベースにして容易に自ら奴隷に成り下がってしまうのです。

これは就職を例にとって記載したものですが、別に就職に限らず、未だ日本の中では真の対等性は実現されず、

力のあるもの⇔力のないもの

発言権のあるもの⇔発言権のないもの

などの分裂した対立構造が存在し、「誰もが対等に意見を出し合い、より良い結論を導いていく」というプロセスを実現することが出来ません。

支配・被支配構造(対立構造)

先ほどの対立構造を例に出せば、力のあるもの、発言権のあるものが支配的になり、その一方の考え・価値観・思想体系によって他者を支配し、集団を統率しようとしてしまうのです。集団と書きましたが、これはもはや、人間が2人以上いれば集団とも言えます。

対立する意見を無視し、否定し、自らが正しいと主張すること。ここには「3人寄れば文殊の知恵」が生かされていません

とても不思議なことです。日本の諺にもあるくらいに古くから存在する日本の知恵のはずなのに、今の日本にはその古き良き知恵がまるで消滅してしまったかのようです

もちろんそうなるまでのプロセスがあり、原因があったわけですが、本当の平和とは「対等性」をベースに実現していくものと思います。この言葉はかつて本田健さんから聞いた言葉ですが、今は彼が実現しようとした世界がよく分かります。真の平和と豊かな世界を実現するためには

支配⇔被支配

正解⇔不正解

二元論から脱皮し、認識上昇した人間によって社会が構成されなければなりません

それこそが(スピリチュアル用語で言うところの)幻想から出る、思い込みから出るということだと思います。

人は皆、人生の初期段階においては思い込みの中からしかコミュニケーションが取れないようになっています。色眼鏡を通して他者を見ていると揶揄されることもありますが、この色眼鏡を外すこととは、いわゆる自分の認識OSをゼロ化すると言うことと同義です。言葉で表現するほど容易なことではありませんが、決して不可能なことではないと信じています。

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