パターン思考か無限の可能性か

私は、人間関係武道はある側面において共通するところがあると考えています

それも、テクニカルな面ではなく、精神面においてです。

かつて宮本武蔵が到達した究極の境地を再現しようとした日野晃さんという方がおられました。(数回だけ学びに行ったことがあります)

この方が言っておられることの中で、私なりに面白いと思った部分を抜き出してみます。

それは、要するに、「敵の人数は決まっておらず、敵が使用する武器も決まっていない」中で実際の戦闘は行われると言うことです。

スポーツとしての武道では、ある程度の「枠」があり、その枠とルールという制限の中で戦えばいいわけですが、本当の命のやり取りにおいては、枠もルールもないと言うことなのです。

ということは、さらに言いますと、何一つ事前に決め付けることが出来ないと言うことなのです。相手が何をするのか、武器があるのか、ないのかも分からないのです。見えないところに他にも敵がいるかも知れないのです。見えないところから銃で狙われるかも知れません。

そうなってくると、事前の「予測」であったり、対応の「パターン化」というのは非情に危険であると言うことが分かります。

敵が無限の可能性で来るのであれば、こちらも無限の可能性で備えておかないと、容易にやられてしまうと言うことです。

それが、武道で言うところの「居着き」をいかに自分の中からなくしていくのかということでもあり、自らのパターン固定を解放し、絶え間なくゼロ化していく作業であるとも言えると思います。

マンガなどでは吹き出しで主人公があれこれ考えている描写が見られますが、究極の境地においては思考が邪魔になることがあります。それ故に、達人の境地と悟りの境地は非常に似てくるのでしょう。究極の境地とはゼロ化の境地であり、無であり、無限の可能性であると言えると思います。

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