弱さは幻想である

私は一体何をしようとしているのか、何がやりたいのかと考えたときに、それは来たるべき尊厳民主主義の構成員としてまず全ての人が自らの尊厳を取り戻せるようになることだと思っています。

感じているか感じていないかは別として、現代は未曾有の政治危機の時代だと思いますし、過去や歴史から学んで解決策を編み出すことも難しく、全く新しい概念によって世界が変わっていくべき時代だと考えています。

その一つのキーワードが尊厳民主主義だと考えており、それはNoh Jesuが提唱する次元上昇した民主主義の概念でもあります。

通常の民主主義においては議論や話し合いで結論を導き出すというプロセスが取られますが、さらにその構成員の認識やアイデンティティが次元上昇した上で全く新しいメタ民主主義を構築していくというものです。

私自身、全然そこに至る途中段階でもあり、完成形からはほど遠い段階にいると思います。

どこから手を付けるか

様々な角度からこのことを検討できますし、様々な人の成長プロセスや段階によって立ちはだかる課題も異なるでしょう。

その中で、私はまず、自分が自分の尊厳を取り戻すという部分に注力したいと考えています。なぜならば、それこそが自分が人生をかけて追求してきたテーマだからです。

For the rest of us.

今までの世の中では、弱い人は強くならなければならないと、一般的に考えられてきたと思います。

しかし私は、弱さは幻想であると考えます。強くなる必要はなくて、人間は元来無限の可能性なのです。従って、自らの可能性を制限する幻想から自由になれば、本来の強さもまた自分のものであることが分かるのです。その文脈において、私は、自分が自分自身になることをコンセプトとして強調していきたいと思います。それは禅のマスターの境地にも通じる部分だと思います。

現状を否定し、「何かにならなければならない」という考え方に対しては非常に懐疑的です。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください