STAP細胞と母子

先日発売された、小保方晴子さんの「あの日」という本を読んでいます。まだ半分も読めていません。

言わずと知れた、STAP細胞の一件で大変な目に合われた小保方さん本人による著書です。

私は学者ではないので専門的な描写はやはりよく分かりませんでしたが、それでも、分化された細胞をもう一度初期化し直し、再び無限の可能性へと戻す試みはとても悟りと通じる部分であり、興味深いところでもあります。

人間はたった一つの受精卵という細胞から分化し、様々な臓器へと変化していく、と言うところまでは分かります。しかし、改めて考えてみると、これはものすごいことではないでしょうか。たった一つの細胞が、ありとあらゆる体内器官へと変化していくのです。言い換えれば、受精卵とは、何にでも変化できる無限の可能性と表現することが出来ないでしょうか。

専門的なところはともかく、分化した細胞がある特定の処理を施すことによって再び無限の可能性へと回帰することが出来る。再び何にでもなれる無限の可能性になれるというのです。

これがもし、人間の心の領域でも出来るとしたら、それがどれくらいもの凄いことか分かるでしょうか。幼少期のトラウマや、人間関係のパターンが作られた環境による条件付け、パターン、これらから再び無限の可能性に戻ることが出来るというのは、果てしない可能性を秘めたことだと考えています。

 

通常この世界では、✕から〇へと変化するために人々は必死に努力しています。

人間関係が苦手だから努力する。弱いから強くなれるように努力する。鬱からポジティブな状態に変化できるように努力する。

私から見れば、ほとんどの努力が✕前提です。だから、苦しいのです。克服できたように見えたとしても、所詮は仮面に過ぎません。✕出発なのに努力によって身につけた〇の仮面を被って生きなければならないとしたら、これもまた果てしなく苦しい生き方でしょう。

しかし、この✕前提を無くすことが出来て、〇も✕もない完全出発が出来るようになったとしたら、どうでしょうか。

先日のブログで私が引用した禅の本(「禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書)」では、1と二元論の関係について書かれています。スピリチュアルで言うところのワンネスが1に近い概念だと思います。しかし、禅では座禅などの身体的な取り組みが必要になります。ただ、究極的に言えば悟りとは認識であり、これを認識技術として教育コンテンツ化できているというのは、実はものすごいことなのだと思います。

 

折しも、私の友人に子供が生まれました。とてもおめでたいことです。彼女の言葉を聞いてとても面白いと思ったのが、「赤ちゃんに癒やされる」と言うことです。

私は、細胞の分化レベルから見ても、人間の中で赤ちゃんが一番愛に近い段階ではないかと思います。条件付けられておらず、無限の可能性を持った赤ちゃんは、何者もジャッジせず、全てを受け入れる存在なのです。

私は今まで様々な心理学的知識を学んできた中で、親が子供を愛するという一般論はそれほど信頼していません。それよりも、むしろ子供が親を愛するのです。従って、それをよく知る人は、「子供から愛について学んでいます」と言います。なぜなら、大人になるにつれて様々な条件付けが積み重なるうちに、自由な心を失い、それと共に愛も見失っていくからでしょう。

自由な心も、愛も、再び取り戻せるとしたら、どうでしょうか。

今まで、特別な人しか到達できなかった境地が、教育コンテンツ化しているとしたら、どうでしょうか。これは今までの歴史上にない革命なのだと思っています。だからこそ、説明が困難なのです。

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