「言い訳するなよ」という主張

突然であるが、私はこの、「言い訳するなよ」という主義主張が嫌いである。

なぜなのかと言えば、現時点の日本においては、この主義主張がかなり正論として絶大な力を持っており、相手を黙らせる効果を持っているからである。

AさんがBさんに対して、この、「言い訳するなよ」という言葉を放つとき、無意識領域の裏面交流としては、「黙って自分の話を聞け。自分の方が正しい。」という信念体系の押しつけがそこには見られると、私は分析している。

しかし、このような一方が他方を強烈に支配しようとするその力関係、人間関係のあり方はそもそもにおいて正しいのだろうか。そもそも正しい価値観などあるのだろうか。

私は常にそのように考えるため、話し合いを拒否するようなこのような支配的な態度は大嫌いなのである。

なぜならば、どんなに一見おかしく見えるものであろうが、誰にでもその人なりの理由・根拠・背景があるからである。言い訳というネーミングがついたとしても、それはその人なりの主張なのである。それ(相手の主張)を軽視し、蔑ろにして、自分の主張を押し付けるという態度そのものが暴力的であり、反平和的な態度であると考える。

 

もちろん、ウソをついてあり得ない(現実と乖離した)言い訳をして相手を怒らせると言うことはあるかも知れない。でも、それにしても、ウソをつかなければいけない背景そのものが着目されるべき本当の問題であると私は考える。ウソをつかなければ耐えられないような非寛容な空気がそこにあることが本当の原因かも知れない。何よりも、本当の原因にアクセスしない限り、本当の解決にも進んでいかないからだ。

相手を黙らせて、自分が正しいと主張し、一方の主張によって相手を蹂躙する。これが暴力でなくてなんだというのだろうか。

 

私は、この問題に対する打開策を模索し、それを表現していきたいと思います。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください