人生で繰り返されるフラクタルとその根本原因(体験談)

俺が生まれた家庭環境は、一見普通の家のようだった。 普通の家だと表現する根拠は、一戸建ての家があり、肉体的な暴力がなく、裕福ではないにしても、お金に困ることはなかったからだ。 ただし、目に見えない暴力が俺を苦しめてきた。

その一つが、家族に所属できない感覚である。 うまく表現できないが、その集団の構成員は誰もが自分でさえなかった。 その環境の中で、俺は自分自身であることさえ出来なかったし、ましてや受け入れられることもなかった。 物理的には集団の構成員なのかも知れないが、そうであるが故に、余計に孤独を感じていた。

心理学的なアプローチを学んだ者なら分かると思う。 人生で最初に構築された信念体系が、後の人生で何度も繰り返される。 俺は、どの集団にも所属できなかった。 不思議に、どこに行っても一人になった。 理由の一つが、集団と関わるというイメージが全くなかったと言うことである。 集団は俺を否定したり批判するものだと思っているため、それをかわすために、必要な仮面を被り、仕方なく交流し、 そしてその必要がなくなったらようやく仮面を外すことが出来て、一息付ける。

つまり、俺が俺自身になるためには、一人になるしかなかった

もう一つの問題は、その否定・批判の問題である。

あまりにも両親の心の中に否定・批判が渦巻いていたために、俺はずっとそれらにさらされ続け、本当は親に愛されたかったはずだとは思うが、そもそも彼らの中にさえOKの基準がなかった。 通常、親の強い価値観があって、それに対して受け入れたり、反発したりするような反応の仕方があると思われるが、うちの場合はそのどちらでもなかった。 彼らには価値観と呼べるものはなく、ただ世の中に対する恐れでいっぱいだったからである。

彼らには、子供を愛するような心の余裕がなかった。 それよりもむしろ、自分を正当化することの方が忙しかった。 否定にも種類があるが、明示的に言語で否定されるパターンもあれば、もっと深刻な非言語で伝えられるパターンもある。

俺の場合は後者だった。 非言語である分だけ反論も出来ず、 「こんなことを言われた」と言って他の誰かの同情を買うことも出来なかった。つまり、表現することが出来ないのである。これがどれだけ辛いことか、想像することは難しいと思う。

中学校の頃のエピソードがある。

俺は、どう振る舞っていいのか分からなかったし、何を話せばいいのか、何をどう考えればいいのか、何も分からなかった。 人生の初期設定からありのままを受け入れられたことがないので、「ありのままの自分」がどういう状態なのか、見当もつかないのだ。 それでも、絶え間ない自己否定と自己批判は既に自分の中にインストールされてたため、何とかしなければならないという思いがあった。だから、コミックを読んで登場人物の心理描写などを見て、頭の中をどのような状態にしておけば いいのか参考にしたりしていた。 どのような表情をすればいいのか分からなかったので、コミックの登場人物のような表情をひたすら真似ていた時期もある。

絶え間ない自己否定と自己批判は体の症状にも出た。 もっとも、幸いなことに診断可能な病気にはならなかったが、その一方で、診断不可能な症状にはずっと悩まされていた。

リラックスできないのである。

脱力とリラックスの秘密を求めて武道の道に入ってみたこともあった。 だが、そこでも、俺が求めるものは得られそうになかった。

絶え間ない自己否定と自己批判は、社会に適合することを難しくさせた。 理由があって大学には5年間通ったが、ほとんどまともに人と交流しなかった。 そのせいで、余計に人間関係に対するコンプレックスが増大し、自信のない中で社会に出ることになった。 あっという間に会社から求められるものと自分自身との間の溝が深まり、 同僚や先輩との関係もうまく行かず、会社を退職してしまった。

客観的に見れば、その頃、22~23才の頃がどん底だったと思う。 自分には何も出来ないと思っていた。 社会に適合もできないと思った。

だが、その後、半分ニート、フリーターのような状態を経由して、 肉体労働を経由し、 最終的にはIT系に転職して年収600万を達成する。 年収600万は、30才の時に設定した目標額である。 10年スパンで自分のやりたいことは実際に叶うことを知った。

だったら、本当にやりたいことをやりたい。 やりたくないことをして年収だけ達成してもつまらない。 何でも叶うのならば、本当に叶えたいことを叶えたい。 だが、そのためには、自分が何を叶えたいのかを知らなければならない。 自分が本当にやりたいことと言うのは、数字などの客観的指標や他者からの評価などとは無関係な世界である。

なぜならば、自分が本当にやりたいことは数字では計れず、心が指し示すものだからだ。 俺は、自分を知りたいと思った。 だが逆に、自分を知ることはとてつもなく難しかった

感情がキーワードだと思った時期もある。 間違った方向のトレーニングで無駄に2年も使ってしまったこともある。 感情を主体にして意思決定するようになれば、自分自身になれるのではないかと思っていた時期もあった。 ある程度、何もかもがマヒしていた頃の自分からすれば、少しは氷山を溶かす効果はあったのかも知れないが、それが絶対的な答えだと思えないところがあった。

なぜなら、意思決定の根拠が感情と感覚だけなのであれば、「快」が正解で「不快」が間違いとなる。 だが、「不快」でもどうしても選ぶ必要のあるときもあるだろう。 であるならば、感情でさえなく、思考でもなく、意思決定の根拠となるところへとアクセスできる必要がある。

考えを手放せと言われても、「考えないようにする」のが関の山だった。 実際にやってみたことのある俺は、その違いを精密に理解している。 絶え間ない自己否定と自己批判がありながら、一体どうやって生きていけばいいのか。 OKになるための条件さえ見いだせないのに。

ケンカなど出来ないし、自分の意見を言うなんてとんでもないことである。 なぜなら、常に自分の方が間違っていると、自動的に思ってしまうからである。 これほどまでに自尊心を破壊された状態で、まともに人間関係など結べるものか。

カウンセラーなど役に立たない

受容と共感力が秀でていたからと言って、その人から受容されたからと言っても、だからといって自分が無条件にOKだとは思わないからだ。 もっとも、この人のようになりたいと思ったカウンセラーなど一人もいない。 なぜならば、その人の存在によって癒やされたり、何かしらの側面で救われたことが一度もないからだ。

実際に、役に立たないのだ。 それが俺のカウンセラーに対する印象だ。

俺の中に巣くう絶え間ない自己否定と自己批判に一筋の希望の光を見たのは、 本田健氏の長期合宿の中である。

その合宿の中で、俺は、 「俺は自分でいいのだ」 と思うことが出来た。 それは、理屈を超えた感覚としてやってきた。 そこからである。 俺が求めるものは悟りの中にあると思い始めたのは。

心理学の中には答えはないと思っていた。 いくら勉強しても絶対に癒やされることはないと、経験的に知っていたからである。 心を扱うはずの学問に答えがないなど、バカげていると思ったが、 俺は別に学問的な知識には興味がなかった。

「実際に」自分を救うことが出来るかどうか。 まずそれが一番最初に来るものであったし、何よりも重要なものであった。 「実際に」効果があったのであれば、広めることが出来る。 なぜならば、自分がいいと思わないものを広めたくもないからだ

観術とはALL主体化の最高の真理を伝える悟りの認識技術である。 そのあまりの高度な内容のため、俺は最初、長期間研修所に身を預けて話を聞いていれば自動的に悟れるものと思っていた。 だが、そうではなかったのである。

例えば、観術に出会う前、ヒーリングを受けたことがある。 1クールあたり30万もするものを4クールも受けたこともある。 だが、実際のところ、具体的にBeforeとAfterでどのような改善点が見られたのか、自分ではよく分からなかった。 もっと率直に言えば、さっぱり分からなかった。 何かが変化したような実感はなかった。

今だから思うが、俺は、最高のものと出会うために、そうで無いもの数々と出会ってきた気がする。 比較するためである。俺にはそれが必要だったのである。比較するだけの経験があるからこそ、観術のコンテンツに対する確信は揺るぎない

現在世の中で表現されているいかなる悟りの伝達方法よりも明確で、実際に効果があり、そして最高の真理でもある。俺の心は、これが間違いがないものであると指し示している。 ただ残念なことに、俺の脳の習慣は病的なほどに疑い深いため、脳が悟りを邪魔していると言っても過言ではない。だが、悟りとは脳の観点を超える技術でもあるため、この問題もやがてはクリアできるものと信じている。

それはつまり、一般の人にも悟りの価値と重要性を伝える表現の開発と密接にリンクしていると感じている。

悟りとは、フラクタルから自由になることでもある。フラクタルの中で必死に頑張って〇になろうとするのではなく、無条件に〇である出発点から意思決定が出来ることである。周囲の99%から批判・否定されても、自らの尊厳を失わないで居続けられることである。それ故に、これからもその価値を伝達していきたいと思う。

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