「下よりも上が良い」からの解放

私の会社員人生は長いです。

大学を卒業してから一度会社員人生にピリオドを打つまでの約17年間、ブルーカラーもホワイトカラーも十分に経験してきました。

そして、ブルーカラーからホワイトカラーに変化し、その延長線上で様々な自己啓発と出会う中で、いつしか「人に使われる側から人を使う側の方が偉い」という考え方に取り付かれていきました。

会社員としての生き方に限界を感じ始めた頃、まるで引き寄せの法則のように大量のネットワークビジネスの勧誘を受けました。お金さえあれば幸せになれると、その数字で幸せが決まると信じて疑わない人や、またその数字のためには人を騙してもなんとも思わない人もいました。その人達の多くは会社員としての生き方をバカにしていました。

しかし、しばらくネットワークビジネスをしている人たちと付き合った後、次は経営者と呼ばれる人たちとたくさん知り合うようになりました。規模としてはそれほど大きくはないと思いますが、個人事業主から中小企業程度の規模の会社を経営している人たちまで、色んな人たちと会いました。その人達と接する中で感じたのが、実に善悪の判断が出来なくなっており、感受性や感性と言った人間らしい要素が一体どこへ行ったのか?と首をかしげるような人が多かったことです。また、自分の人生観に確固たる自信を持っている人が多いと感じました。計測可能な成果を上げているからでしょう。しかし、計測可能であるという点が逆に大問題だと感じました。なぜなら、目に見えない心が置き去りになっているように感じたからです

一般論的に言えば、<人に使われる側>よりも、<人を使う側>の方が偉いとされています。そのため、必要以上にセルフイメージの高い人がいました。必要以上という表現に込めている意味は、健康的ではないという意味です。

SNSで知り合った人に勧められて話を聞きに言ったある経営者Aさんは、月給30万円で働く会社員という生き方を罵倒していました。それこそひどい表現でした。

また、あるときふと、街で知り合ったネットワークビジネスをしているBさんは、働かずに収入を得ると言うことに強い執念を燃やしていました。日本人は皆、自分がやりたいことをやりたいとも思えない状況であり、それはおかしいと言っていました。

下から上まで見てきたが

さて、フリーターから経営者まで、それこそ引きこもりの半ニートの状態から、経済自由人と呼ばれる人に会うまで、多彩な層に生きる人たちと会ってきましたが、どれも大して幸せそうに見えませんでした。

なぜならば、下は下で生活が大変ですが、上は上で、そもそもの自らを動かすエネルギーの源泉が劣等感であったり、自己否定であったりするので、シャドーや投影がひどく、隠れた攻撃性が大きいのです。そもそも、下よりも上の方が偉いと思って努力して上になっているため、根本的なメカニズムとして下をバカにしたり否定したりする傾向を有してしまうのです。

しかし、一通り見た後で、結局何が良いのかという答えなどないことに気付きました。それは、答えとは問いとセットになっているからであり、問いは人それぞれだからです。つまり、安定した収入と人生が良いと思っている人は公務員になるかもしれないし、そんな生き方では我慢できないと思う人は自分で稼ぐようになるかも知れない。そこに善悪はなく、ただ、人生に何を望むのかという違いしかないと言うことなのです。そこに優劣を持ち込めば、その優劣に自分自身が縛られ、無意識的に自分を苦しめることになるでしょう。もはや苦しいという感性・センサーさえもOFFになっているかも知れませんが。

ある発展途上国では大人になるまで生きることが希望だと聞きました。

生まれた国によって、条件によって、望むものも違うのです。従って、単一の物差しだけで測ることなど不可能なのです。

自分は何者で、何を望むのか

だからこそ、自分が本当に望むものを知り、それになる必要があるのだと思います。自由な心で自分が望む人生を歩いているとき、必要以上に他者を否定したり批判したりする必要はなくなっていくように思います。自分が何を望んでいるのかを知っていれば、〇〇だから偉いという価値観に縛られて自らを制限し、苦しむこともなくなるでしょう。

そもそも、「上」という概念は「下」がなければ成立しません。「偉い」という幻想も、それを支持してくれる人たちがいなければ成立しません。支配者になるにも、支配される側の人たちが必要なのです。その意味が理解できている人は、社会的に最下層と言われる人たちに対しても敬意をもって接しています。

会社員になりたければ、なればいいのです。自営業をしたければ、すればいいのです。経営者になりたければ、なればいいのです。なりたいものになればいいのです。心が自由になるに従って、全ては本来収まるべき位置に納まっていくように思います。

そうは言っても自分が何を望むのかを知ることはまた違う意味で難しさをはらんでいます。そのことはまた別の機会に。

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