「成長しなければならない」という強迫観念

一つの例を出します。ただこれは例に過ぎないので、様々な領域で敷衍可能であると考えています。

例えば、私はシステムエンジニアの世界で10年間、働いてきました。その世界では、一般的にキャリアパスという概念がまことしやかに定型概念として言われていました。例えば、マニュアル通りに作業を行うオペレーターという作業員レベルから、自立して自ら設計・判断を行う立場へと昇格し、そして責任者へと成長していくことが絶対的に正しい、いいことである、という考え方です。

IT業界においては常に新しい技術や製品が出てくるために、常に勉強が必要ですし、常に成長し続けなければなりません。従って、どこにも安住が出来ず、常に自分を駆り立て続け、常に自分は今の自分では十分ではないと、考え続けなければなりませんでした。

一般的には、このような考え方の元で、成長を続けること、進化を続けることがいいことである、という風に言われています。しかし、本当にそうでしょうか

全ては観点の問題

私は、全ては観点の問題に過ぎないと考えています。

どういうことなのかというと、結局は本人が人生に何を求めるのかという目的意識から出発するのであって、成長しなければならないというのは外圧的な洗脳だという風にも言えるからです。

部活動を例に取りましょう。

県大会で優勝したいという目的意識を持つ人もいれば、楽しければそれでいいという目的意識を持つ人もいるでしょう。それぞれ価値観が違うだけなのに、どちらかと言えば世間的には前者の方が「正しい」と見られがちです。

システムエンジニアの世界に話を戻したとして、果てしなく成長することが、本人のやりたいことであるならばそれでいいのですが、外圧的な価値観の押しつけによって自分を駆り立て、自分本来の価値観を裏切ってまでそうしているのだとしたら、心が苦しいことでしょう。その人にとっては、定型的な業務の方が性に合っているからです。

出発点は「自分は何をしたいのか」であって、これが分かっていないと、世間的な正しさに容易に流されてしまうのです。また、自らの価値観が世間的な正しさから乖離したものであるならば、よほど自尊心が高くなければこれを守ることは難しいでしょう。なぜならば、日本人は特に学生時代に家や学校という環境の中で「他者から評価される」という経験をし続け、その経験を経て成人するからです

自尊心を取り戻す

自分の価値観や自分本来のアイデンティティに自尊心を持つことは、この日本においては容易ではないと考えています。

勘違いして欲しくないのは、成長のタイミングや動機は人それぞれだと言うことです。他者の考えの押しつけによって成長を義務づけられるほど苦痛なことはありません。そんなことをしなくても、本人が生きていく中で、課題だと感じたことがあるならば、勝手に成長の必要性を感じるのではないでしょうか。本人が問題だと思ってないのに、他人が問題だと騒ぎ立てて価値観を押し付けると言うことこそが問題の本質であると思います

この世界で、何も問題を感じずに生きると言うことは稀なことでしょう。人それぞれの感受性があり、人それぞれ感じる問題のレベルは様々だと思います。その人が問題だと思ったら、その問題に対応して自分を成長させれば良いのだと思います。何も思わないのであれば、そのままで良いのだと思います。世間で言われる価値観をむやみに受け入れるのではなく、自分は何者で自分は何がしたいのか、自分は何を感じるのか、それを大切にしていくことが必要だと感じています。

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