最近の新入社員

先日、ある40代くらいの3人組(男性1人、女性2人)が近くにいて、会話が聞こえてくると言うことがありました。

会話の内容からして、3人とも平均的な会社員である様子でした。

彼らは、最近の新入社員について嘆いていました。その内容というのは、

「仕事帰りにお茶に誘っても、断られる」

というものでした。彼は、お茶ではなくてお酒に誘えばよかったのかと悩んでいましたが、私から見て、そう言う問題ではないだろうと思いました。

彼らの世界観

彼らの言い分としては、普通先輩から誘われたら喜んでついて行くものなのに、断るというのは一体どういうことなのか、けしからん、と言うものでした。新入社員の中には、断る理由として「読書」を挙げる人間もいたようです。

また、彼らが言うには、断るときには普通何かもっともな言い訳をするものだと言うことでした。例えば、何かやむを得ない用事があることにして断るなどを指しているようです。彼らの主張によれば、正直なコミュニケーションは社会人として適切ではないと言うことでした。

私の見解

彼らが言う新入社員側の言い分はもちろん聞くことは出来ませんが、私はどちらかと言えば昔からこの新入社員側に近い感性をもって生きてきたために、どうも社会に適合できない感覚をずっと味わってきました。そのため、やっと時代が私の感覚に追いついてきたのだなという風に感じています。

私から見たとき、私がもしその該当する新入社員だったとすれば、仕事が終わっていざ帰ろうとするとき、一緒の時間を過ごしたいと思わないような先輩からお誘いがかかったとしたら、たぶん全力で断るだろうなと言うことでした。つまり、上記の3人組はまるでコミュニケーションを拒絶されたように感じているのかも知れませんが、これほど正直で率直なコミュニケーションもないと思います。つまり、言語化はしていないかも知れませんが、一緒の時間を過ごしたくないからそのように率直に意思表示をしたと言うことであって、これは最高のコミュニケーションではないでしょうか。

つまり、何が言いたいのかというと、その3人組は、もしも新入社員が(内心)嫌々付いてきたとしたら、それでも嬉しいのだろうかという疑問です。それと、本当の理由を告げずに断られるのだとすると、本当のことを何も語らないコミュニケーションで一体どうして満足感を得るのだろうかという疑問です。自分たちの幻想の中で生きたいのだろうなあと思いました。

普通は変わり得る

例えば今現在40代の3人組は、30年後にはすでに現役ではないでしょう。そうなったときには、今の新入社員が現役だと言うことになります。ということは、今の新入社員の価値観が主流派になると言うことです。もちろん、それはつまり、それが普通になると言うことです。

普通と言う言葉は、隠れた暴力性を伴う、便利な言葉として使われる印象があります。先の3人組の例で言えば、自分たちの普通が新入社員に通じないことに憤っていたわけですし、それを根拠に新入社員に説教する人が現れてもおかしくありません。しかし、所詮、普通と言う概念など、わずか30年で入れ替わってしまうかも知れないものなのです。

では、もしも30年後、自分たちが迫害され、否定される側になってしまったらどうするのでしょうか。自分たちが武器として使ってきた普通という概念によって、今度は自分たちが攻撃される側になってしまうわけです。仕方がないと言って諦めるのでしょうか。あるいは、あくまで自分たちの方が普通だと言い張るのでしょうか。自分たちがいつか弱者の方に回ってしまったとき、ようやく新入社員の気持ちが分かるのかも知れません。

不思議なものです。その3人組も最初は新入社員だったはずなのに。

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