言語化されないコントロール

なぜA社のコーヒーは美味しいのか

という記事をあなたが目にしたとき、どのような情報があなたの中に入ってくるでしょうか。無抵抗な心理状態にある時、人はその情報の前提を疑うことをせずに受け入れ、その記事の支配下に入ってしまいます。

具体的に言えば、その記事ではなぜA社のコーヒーが美味しいのか、どんな工夫がされているのか、どんな優れたマーケティングなのかが記事として情報提供され、それを浴びているうちに「そもそも自分はA社のコーヒーを美味しいと感じているのかどうか」は疑問にさえのぼらなくなると言うことです。記事の前提とされるものは問われないのです。

私がもし、タバコの販売をしているマーケティング担当であり、そして人々にタバコを吸わせたければ、映画の中の登場人物にタバコを吸わせることでしょう。そのようにしてくれるなら、映画会社に広告料を支払うかも知れません。本当に人を操りたい時は、いわゆるコマーシャルを流すよりももっと効果的な方法があるのです。

私は心に関して色々と興味がありますので人をコントロールする方法について書いてある本を読んだ時もありましたが、そこには「自分が通したい意思については言語化せず、話の前提としてして非言語化し、代わりにそれを前提とした話をすれば良い」というようなことが書いてありました。なるほど、考えれば考えるほどそれはそうだと思います。言語化してしまえば、「あの人はこう言っていた」というように人々の認識に残るからであり、記憶にも残るからです。そして認識と記憶に残ったものは後から第三者の目を持って客観的に考察することが出来、必要であればそれを取捨選択することも出来るようになります。しかし、言語化されないコントロールはとてつもなく強力なのではないかと思います。

非言語で伝わるしつけ

例えば日本では子供のしつけに困った時、「ほら見てご覧なさい。みんな〇〇してるでしょ」という言い方で子供を躾けていきます。子供の頃は素直なもので、その言い方である程度コントロールできたりもするかも知れませんが、それはコントロールと言うよりも子供が親の意を汲んでコントロールされているように演技をしている、という方が状況に沿っているのかも知れません。

私がこの事について考える時、この言葉の背景は何で、裏面交流で何が伝わっているだろうかと言うことです。つまり、親はただ自分の言うように子供を躾けたいと思っているかも知れませんが、この言葉の背景として「みんなと同じでなければならない」という強迫観念までがセットで伝わっていることが分かるので、これがとても怖いと思うのです。

裏面交流で伝わったものは意識にのぼりにくいものです。なぜならば、そう言われたわけではないからです。「みんなと同じでなければなりません」と言語で言われたならば、「それはなぜですか?」と問い返すことも出来るでしょう。でも、言われていないものは認識が非常に難しいのです。しかも、そうであるにも関わらず日本人は相手の意図を読み取る感性に長けていると感じます。

関数x

あなたの本来の考えや本来のあり方がAだったとします。しかし、ある人やある考え、情報(x)に接してBに変化したとします。するとそこには数学の関数のようにAx=Bという数式が成立すると思います。あなたが接した情報xとは一体何なのか、注意しておかないと知らない間に洗脳されてしまいます。表と裏の両方で見ておかないと、特に言語化されないものに注意しておかないと、相手の意図通りにコントロールされてしまいます。

注意深くありたいものだと思います。

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