「普通」であることよりも、自分らしく

最近読んでいる本の中で「綾屋 紗月」さんという著者がおられまして、いくつかの本を著されていますが例えば「発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい」というものもあります。

私はたまに暇つぶしで”2ちゃんねる”を見ることがありますが、よく「アスペルガー症候群」のことを「アスペ」と呼んだりしていますね。主に悪口に使われているようです。空気が読めないとか個性的であることをそのように悪く言うみたいです。例えば医学的診断で用いられるDSMではこのように定義されているようです。

綾屋さんはこの本の中で、アスペルガー症候群と診断された自分が具体的に自分の内的世界がどのように展開されているのかを赤裸々に語っています。私から見ればこれはとても勇気のあることだと思います。

診断がもたらす2つのこと

著者は、幼少期から感じ続けてきた違和感の正体が分からずずっと生きることに悩み苦しんできましたが、アスペルガー症候群という診断名を得たことで一段階の安堵を得たと語っています。それは、周囲と自分との間に大きな感じ方の違いがあり、自分の感じている感覚や現象が誰にも理解されず、従ってそのようなものがあるのかないのかさえ不安な状態に一縷の光を見たことでしょう。存在を認めること。名前を付けることにはこのような効果があるように思います。

でも、診断名が付くことと治療が可能かどうかは別の話だと思います。脳の気質に原因があるのか心の問題なのか定かではありませんが、そもそも心の問題の場合、治療とは何なのかという哲学的な問いにもなってきます。(多数派の属する「普通の人」のように振る舞えるようになればOKでしょうか?)そもそも綾屋さんの苦しみの原因の多くは、「普通の人に合わせなければならない」というところから来ているように思います。

障害ではなく個性

彼女の感性や緻密な感覚の話などを読んでいると、これは障害ではなく個性だと呼ぶべきだと思えてならない点がいくつもあります。もちろん本人も苦しい面が多々あるので障害である面もあるでしょうけれども、およそ人並みの感性を持ち合わせている人間であれば、多かれ少なかれ人生の中で悲喜こもごもを感じながら生きているのではないのでしょうか。一体何が違うのかという気持ちにもなります。

体を流れる経絡を実感として捉えられたりするのは特別な才能とも呼べそうです。普通の人が普通に交わしている会話にうまく参加できないことを著者は嘆いていますが、本当にこういう局面での「普通」という概念ほど無駄なものはないと思えてなりません。

日本人の心理構造

ユング流心理学者である河合隼雄さん(故人)は、日本人の心理構造の特質を「中心が空である」と語っています。日本には八百万神もあるのですが、それらは中心ではなく周辺に配置されており、あくまで中心が空だというのです。これは西洋のような一神教の絶対的な存在が中心で中心に明確な理念があるのではなく、中心理念が明確でなく曖昧だと言うことらしいのです。この感覚は日本人である私にもよく分かります。(八百万神だとか何とか言いながら、別にどれかを強く信奉している日本人というのはあまり見かけませんよね?)

私なりに言い換えてみると、日本人の信念体系の中心となるものは「普通」と言われるなんだかよく分からない曖昧模糊としたものではないかと言うことなのです。これの怖いところは、「では普通とは何なのか」と言うことが理念として明確に定義されていないということなのではないかと思います。なんだかよく分からないので、結局周囲を見渡しながら、はみ出ないようにすると言うことに落ち着くのではないでしょうか。

「普通でなければならない社会」こそが病んでいる

多くの人が自分らしく生きるよりも「普通であること」に異常な執念を燃やしているように思います。これは大変なエネルギーロスではないかと思っています。そもそもが個性を持って生まれた人間一人一人が、わざわざ金太郎アメのように振る舞わなければならない社会なんておかしいと思わないでしょうか

私は、それぞれの人が自分らしく輝ける社会こそが最も理想的であると考えています。そのため、まず自分が自分としてありのままで尊重されることは第一義的に大切なことだと考えています。

最初の2ちゃんねるの話に戻りますと、「あいつアスペだ」とか「あいつは空気が読めない」などという攻撃の刃は、他者に向けているようでも本当は自分にも向いているのです。その刃は自分を傷つけ、自分らしく生きる可能性を奪う諸刃の剣になっているのだと思います。もっとも、苦しい人生が好きな人もいるかも知れませんが、他者に強要するのは望ましいことではないと思います。

折しも、アメリカの大統領選の結果が出ようとしています。日本はこの影響を受けずに済むことは出来ないでしょう。また、原発の問題やTPPの問題など、政治家任せにしていればますます悪くなるような情勢も見受けられます。さて、この期に及んで本当に空気など読む必要があるのでしょうか。黙って搾取されて、死んでいくのが日本人なのでしょうか。

生きるとは何か」ということは、少なくとも生きている間は問い続けるべきであると思います。

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