客体として生きる

ヨーロッパ圏、例えばフランスなどと比べた際に、日本の仕事上の意思決定方式は「顧客のニーズに応える」というものが大きいように思います。それは例えば、顧客からクレームが来れば理由はともかく謝ってしまう、ということであったり、多少の無理難題を言われても文句を言えずに受け入れてしまい、結局残業したりその分の対価を受け取れないままに要求に応えてしまうと言うことがあるのではないでしょうか。

フランスではある役所のある担当で、そのAさんしか担当できない業務があるにも関わらず、Aさんは普通に休みを取って休んでしまうそうです。でも別に誰も騒ぐわけでもなく、それはそれとして受け入れているという話を聞きました。

フランスでは「自分が主人公」として生きているように見えます。そして、その一方で、日本は自分の人生であるにも関わらずむしろ顧客が主体となっており、その主体に対する「客体」としての人生を甘んじて受け入れ、客体として生きているように見えます。もちろん原点には仕事や業務を失いたくないという主体的意思が根底にあって、そういう意味では主体的意思決定は失われていないようにも見えますが、客体として生きることを主体的意思決定しているとも言える不思議な構造をしているとも言えそうです。

しかしながら、この意思決定方式の弱点は、求められるままに際限なく振り回されてしまうと言う大きなデメリットを抱えています。何しろ自分がどうしたいのかと言うことが全く重視されていないこと、何を求められているのかに答えるという他律的な意思決定であるために、どれだけ努力しても自分の人生を生きているという感覚が得られないという弱点があるのです。

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