ワクワクすることをする

時には、人にはやらなければならないことがあります。それが例え苦痛なことでも、全く楽しくなくてもです。苦痛を全て避ける人生の果てに、一体何があるというのでしょうか。

そのような観点で見たときに、私は「ワクワクすることをする」という物差しが唯一であるかのような考え方には異議を唱えたいと思います。

カール・グスタフ・ユングから始まり彼の流れを汲む心理療法家が時として語るように、自分の無意識を掘り起こしてトラウマと対峙し、またコンプレックスと向き合う作業は果てしなく苦しい作業になり得ます。その個人が苦しみを通して変革を起こすとき、ほとんど必然とも言えるほどに周囲さえ巻き込みます。人格の統合というのはものすごい作業なのだと、様々な事例を読んでいると分かってきます。知的レベルで自分を理解するのと、本当に人格の統合のプロセスを進むことは全く違うと感じます。つまり、自分が自分になるには辛いプロセスがあると言うことです。

その作業のどこにワクワクがあるでしょうか。ありません。そこには果てしない苦しみしかないかも知れません。しかし、人はその時が来たら、逃げたくても逃げられないのです。

そう言った事例にたくさん触れていくうちに、私は「ワクワクするかどうか」などということはどうでもいいことだと思うようになりました。誰がそんなことを言いだしたのか分かりませんが、人がどんな価値判断基準で生きようとも、それはその人個人が主体的に自由に意思決定するべき事柄です。唯一絶対であるかのような価値判断基準や思想を掲げることには絶対的に反対です。

苦しくても、それがその人が主体的に判断したことであるのなら、それでいいと思います。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください