タマネギの皮をむく

世の中を見渡すと、大きく分けて人は2種類の人間に分けられるように思います。1つ(前者)は、自分が何者なのかを問うことなく、人生の初期設定に従ってただ生きていく行き方。環境や自分の考え方や感じ方の癖に疑問を持つことなく、何か問題があればその問題のせいであるという考え方に従って、ただ疑問を持つことなく生きる生き方です。そしてもう1つ(後者)は、そこに疑問を持ち、自分の考え方や感じ方に疑問を持ち、「本当の自分」を探す生き方です。

昔は後者の方がより優れた生き方で、前者はそれほど優れた生き方とは思いませんでしたが、そもそも後者の生き方を選択している時点でその人の人生はそれほど単純なものではないと言うことを意味しており、そう思わせる背景を見たときに単純に純粋に幸せなものだけではないことが多いと推測されますので、どちらがより幸せなのかは甲乙付けがたいことなのかも知れないと思ったりもしています。

さて、後者の生き方をしている人たちと接するときに使用されるキーワードとして、「タマネギの皮をむく」というものがあります。それはどういうことなのかというと、例えば自分の考え方や感じ方の癖を見ていくとき、そこには成立背景というものがあり、要するに生まれた瞬間から備わったものではないと言うことを理解していくプロセスなのだと言うことです。

例えばAさんは人間関係において常に特定の傾向に走りやすいかも知れません。いつも何かに対して完璧であることを周囲に示し続けなければ気が済まないかも知れませんし、いつも誰かと一緒にいなければ気が済まないかも知れません。いつも明るく元気に振る舞わなければならないと感じているかも知れませんし、いつも思っていることを言わなければ気が済まないかも知れません。

でも、それらは過去の何かしらの経験に起因して派生した傾向なのであって、それはAさんの元々の傾向とは言えないかも知れません。本来のAさんではないかも知れません。つまり、現状のAさんは変化「後」のAさんであって、オリジナルのAさんではないかも知れないのです。

別に人はそういうものを辿らなければならないわけではありませんが、例えばカウンセリングなどで用いられる認知行動療法などを考えてみると、そのような後天的に身についた認知の歪みを改めて現実に即したものに修正していく試みだと言えそうです。

人は皆幸せな生まれ育ちをしているとは限りませんので、人によってはそのような、認知の歪みを修正していく作業が必要になることがあります。そのような観点から見たとき、人は皆、今自分が認識している自分が本当の自分とは限らないと言うことがあるのだと思います。あるコミュニティでは、子供の頃の自分を思い出すという試みがなされます。今の自分は✕✕という傾向を持っているけれども、かつて子供の頃の自分は〇〇だったなあ、ということを思い出していくのです。これは、ある観点から見れば本来の自分に戻っていく作業と言えるのかも知れません。

その作業を絶対視している人達はインナーチャイルドという言葉をよく使います。私はその作業を否定したくはありませんが、絶対視もしていません。なぜならば、その作業がうまく行かない人たちが中にいると思っているからです。

今自分が認識している自分の皮をむいていき、本来の自分に戻っていく作業を「タマネギの皮をむく」と表現している人がいるのです。ですが、この作業はどの段階で最終ゴールに到達するのでしょうか。中には、この作業には終わりがないと言っている人たちもいます。もちろん、現実的な観点から見ればそうかも知れません。しかし、本当にそうでしょうか。

現実的に物質としてのタマネギの皮をむいていったとき、最後にはむくものがなくなってゼロになってしまうのではないでしょうか。つまり、本当の自分というのは「」ではないでしょうか。このコンセプトは通常の心理学では扱われないと思いますので、古今東西の悟りや哲学なども取り入れなければ、この感覚を伝えるのは難しいなあと思ってもいるのですが、でも実際、むしろ本当の自分とは「無」なのではないかと思うのです。

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