自己を統合する

だいたい、人が自分を見つめ直すというのは何か問題を感じるときである。何もないのにわざわざ自分の心を見つめるというのは、なかなか物好きでなければやらないものかも知れない。

問題」とは何かを考えるとき、分かりやすい具体例から言えば、例えば落ち着きのなさ、暴力や暴言、いじめ加害、過剰適応による不適応や心身症、自殺、自傷行為などが挙げられる。特に、大人になればなるほど問題の隠蔽が複雑化するため、心の問題をよりシンプルに捉えようとするときには子供の心理を見ていくと分かりやすいように思う。(部下に残業を強要するのもいじめの派生だと考えている)

そういう意味で、ここでは「児童心理 2016年10月号」(金子書房)の中にある論文のうち、大河原教授(東京学芸大学)のものから考察を深めてみたいと思う。

要点だけをかいつまんで言えば、こういうことである。人は一般的に、ポジティブであったり常識的に望ましい状態であるときには周囲や親から認められやすい。しかし、そうではないとき、つまりポジティブでなかったり常識的に望ましくない状態の時に周囲から否定的な扱いを受けていると、やがて自分自身でも自分の中の望ましくない側面を受け入れられなくなってしまう

統合された自己というのは、自分の中にあるプラスもマイナスも両方を価値判断抜きにして受け入れられるという大前提があると言うことである。両方受け入れられるから、悩んだり考える必要が出てくる。両方受け入れられるからこそ、そこからの主体的な意思決定が出来るようになっていく。これが片方に偏っていると、意識的には悩まない状態になっていくのかも知れない。

最近読んだ本で書いてあったのだが、そのような偏りが極端であればあるほど、例えばビジネスでは成功しやすいという説がある。考えてみれば、それは当たり前の話だと思う。クヨクヨしないで常に前向きで行動的であれば、商売はうまくいきやすいのかも知れない。単純にイメージしてもそれは分かる気がする。

でも、抑圧」されたり「無視」された自己はどうなってしまうのだろうか。そもそも頑張って努力して抑圧すれば本当にそのダークサイドは消えてしまうのだろうか。残念ながら、そうはいかない。それが、100年前から偉大な心理学者がずっと言ってきたことである。抑圧して無意識領域に追いやったとしても、決して消えはしない。そして、抑圧したが故に、全く予想もしないところで問題として噴出してくることになる。

人の痛みが分からないというのは、翻って見たときそれは「自分の痛みが分からない」と言うことなのである。それは分かち難いイコールで結びついている。

ユング派の心理療法家である河合隼雄氏(故人)は著書の中で面白いことを言っておられる。それは、一個人の中で発生する心の問題は、「社会」という単位でも同じように発生すると言うことである。つまり、例えば日本社会全体を一つの人格として見るときに、自殺者が多いという問題は何かしら社会全体が抱える病理を表していると言うことを言っておられるのである。つまり、自殺するものが弱いから悪いという風に個人の問題として帰結するのではなく、そのような問題を発生させているのは社会全体が病を抱えているからだ、ということである。このようなものの見方は様々な集団に対しても同様に適用できると思う。もちろん家族も1つのユニットなので同じことである。

では、上記で見てきたような「問題」に対して我々が出来ることは何なのであろうか。この論文では著者はマインドフルネスが解決策であると言っておられる。この論文ではマインドフルネスを獲得する方法として呼吸法が例示されているが、それは一体「」を獲得するための手段なのであろうか。それこそが、価値観の相対化であり、「良い」「悪い」を超越して自己を受け入れられると言うことであり、人が基盤として持っているべき自己肯定感の正体なのだろうと思う。無条件にどんな自分でもOKであるという感覚である。

無条件にどんな自分でもOKなら人を殺してもいいのかという問題もあるのだが、話が長くなりすぎるので止めておく。こういう問題に関しては、本当に河合隼雄氏の著書は詳しく語られているので、興味のある方は一読をお勧めする。私の中ではもはや伝説的なカウンセラーとして位置づけられている。

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