「不思議の国のアリス」

このような有名な古典的文学は、読んでみると結構面白いものです。

私はもともとそれほど読書家でもないのですが、尊敬する河合隼雄氏(故人)に触発されて、それまで興味がなかった本まで読むようになりました。彼が言うことを理解しようとすると、膨大な本を読まなければならないのです。

その中の1冊、「不思議の国のアリス」について書いてみたいと思います。

ご存じない方のためにものすごく簡単に要約して説明すると、少女アリスが不思議な世界に迷い込んで、色々と冒険をするというストーリーです。

面白いなと思うのは、アリスが考える常識と、相手の考える常識が全く違うことです。例えば、登場人物の”やまね”が言います。「むかしむかし、かわいい三人の姉妹がありました」「名前は〇〇、〇〇でした。みんなは井戸の底に住んでいて、、、」などと話すものですから、アリスは尋ねるわけです。井戸の底に住むというのなら、一体何を食べて生きているのかと。やまねの回答は、”糖蜜”を食べて生きていた、というものでした。続けて、なぜ姉妹は井戸の底に住んでいたのかと尋ねると、「それは糖蜜井戸でした」という回答が返ってきました。どこから糖蜜を汲んだのかと尋ねると、帽子屋から「アホやな」と言われてしまいます。

このような、全く異次元の会話のようなものが延々と繰り返されるわけです。互いに常識の異なる者同士が会話するとこうなる、という具体例としてはぴったりだと思います。

自分と相手の常識が異なるので、アリスは実に素朴な疑問を相手に投げかけるのですが、相手は「お前はそんなものも分からないのか、アホやな」という回答がほとんどです。

例えば皆さんも、海底で”靴磨き”をするのに何を道具として用いるか、と言うことはご存じないでしょう。しかし、この不思議な世界では「そんなもの、(たら)を使うに決まっている」と言ってグリフォンにバカにされます。そもそも海底で用いる靴の素材だって我々には知る余地がないと思います。

万事がこの調子ですので、全般にナンセンスだと言ってしまえばそれまでですし、面白いと思えばめちゃくちゃ面白いです。
さて、翻って私達が今を生きるこの現実世界では、ここまで常識が異なる相手と話すことはないかも知れません。”やまね”やグリフォンや”にせ海亀”と話すこともないでしょう。従って、アリスほど大変な目には遭わないかも知れません。でも、本当にそうでしょうか。意外と、近くにいる人との間でも「実はお互いの常識(当たり前だと思っていること)」が全然違うということがよくあるのではないでしょうか。

常識が違うとどうなるかというと、例え同じ日本語を話していても全然通じないと言うことになります。なので、場合によってはイライラしたり頭にきます。「なんで分からないんだ、お前はアホか。」というような具合になるかも知れません。しかしながら、罵声を浴びせても分かり合えるわけでもないですし、最初から諦めてしまっても分かり合えませんし、難しいですね。そもそも、努力して冷静にアサーティブに表現したとしても、伝わるかどうかは相手次第という面もあります。

私は実は、”(それぞれ常識が異なる)みんなが理解し合えるためには何が必要か”というロードマップを描いているところなのですが、いつかそれを公開してみたいと思います。

とにかく、理想郷が構築されるまでは、みんな諦めたり怒りをぶつけたり、ケンカしたり、色々と大変なところを経験しなければならないだろうなと思います。現段階では仕方がないですね。

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