法律と裁判所

私は一般人ですが、一般人としては少し珍しい経験もしていますので、その経験を踏まえてお話ししたいと思います。

みなさんと法律

一般人として普通に暮らしていく限りにおいて、あまり法律というものは意識することがないかも知れません。学校に行き、会社に行き、日常生活を送るためには、それほど法律と密接に関わることは少ないかも知れません。ですが、一度私は民事裁判で戦ったことがあります。それも、相手は司法書士に加えて弁護士2人です。それに対して私は一人の代理人も付けずに本人訴訟で戦いました。結果は、第1審では完全勝利。第2審では残念ながらイーブンになってしまいましたが、その時の経験は大変貴重なもので、私の人生を方向付けた一つの大きな出来事であると感じています。

裁判で戦うと、学ぶことが大変多くありまして、多くのことを得られたと思います。その事についてはいつかお話ししましょう。

まずは、法律について少しお話しします。

日常生活の中で納得がいかないことがあった時に、相手に対して正統な要求をする手段というのは実に限られています。言葉で伝えるというのが関の山でしょう。でも、どれだけ誠意を込めても、熱意を込めても、アサーティブに話しても、相手が同意しなければどうしますか?一般人に出来ることなど、そのラインを越えて存在しないことに気付くかも知れません。その紛争を解決する手段として法律があり、裁判所があるのです。

裁判官は味方か

簡易裁判所では裁判官が一人なので唯一それがイコール裁判長であり、裁く人です。これに対して、地方裁判所では裁判官が3人いて、その中の一人が裁判長になります。まあ、これはそれほど重要なことではないです。

私の経験でお話ししますと、まずは請求額が比較的少額だったために最初は簡易裁判所で訴えまして、ここで戦いました。次に、控訴を提起されたので控訴審は地方裁判所で戦いました。

とても興味深かったことは、簡易裁判所の裁判官はとても公平だったことです。その裁判官の名前は「芹澤薫」様です。双方の意見をとても慎重にヒアリングされて、ただの素人でしかない私の意見を本当にきちんと聞いて下さいました。そして、ただ事務的に判断するだけではなく、とても誠実に公平に最後まで訴訟を進めて下さいました。法律とは杓子定規に適応できるものではなく、とても微妙なものです。裁判官の解釈や心証も影響してきます。この事が本当によく分かる経験でした。ただし、私がたまたまラッキーな裁判官に当たった可能性もありますので、すべての裁判官が誠実で公平であるとは限りませんので悪しからず了承下さい。

一方、地方裁判所では裁判官は3人です。要するに、一気に裁く人が3倍になるわけです。ここでは、裁判長は「鈴木正弘」という方でした。他に、裁判長以外の裁判官が2名いるわけですが、その2名の名前はここでは伏せておきましょう。本当に、私から見ると、「その他2名」という感じでした。裁判の仕組みについて少し調べてみると、本来は「合議審」と呼ばれていて3人で合議するのが本来の建前なのでしょうが、私から見るとどう見ても裁判長という絶対神に従うスネ夫みたいな人間と、よく分かってない新人君が付き添いをしているだけにしか見えませんでした。

地方裁判所では、まともな検討をしてもらえませんでした。私としては、第1審の時と同じように双方が意見を戦わせて、きちんと適切な判決を下してもらえるものと期待していたのですが、最初に言われたのは、「和解しないとあなたに不利な判決を下す」という恫喝にも似たセリフでした。私はそれまで限界を超えて努力し、戦ってきました。ようやく第1審で100:0の勝利を得たのに、なぜここへ来て50:50で甘受せよと言われなければならないのか、納得できませんでした。

ですが、既に精神的に限界を迎えていた私は、その和解要求を受け入れ、裁判を終わりにしたのです。ただの素人に過ぎない私が、一人の弁護士も付けないで、司法書士と弁護士2人を相手に戦い、一度は完全勝利し、控訴審では得られるものが減額になったものの、そして、果てしなく苦しい経験だったものの、得たものは意外と大きいという風にも感じていました。

端的に言いますと、裁判官というのはピンキリです。誠実で尊敬すべき人もいれば、「適当にこなす」感じでやっている人もいれば、ドラえもんに出てくるスネ夫みたいに「長いものに巻かれろ」タイプの小物もいました。裁判官というのはそれまでの私からすれば別次元の存在であり、ある種の高貴さを期待していたのですが、それは人によるのだと言うことがよく分かりました。でも、どんな裁判官に当たるのか運次第というのは、訴えた人にとってはたまったものではありませんね。

法律への興味

そのことをきっかけとして、私は法律に対して興味を持つようになったと思います。また、法律はトラブル解決の最後の砦なのだと言うことがよく分かりましたし、それ故に判決を下すという絶対権力を持つ裁判官には通常人よりも遙かに高い倫理性が求められることも理解しました。

そこから広がって、この国を統治する仕組みについて興味が広がり始めました。法律はある意味では絶対的なものですが、さらに上位のものがあります。それが憲法です。ちょっと調べれば、憲法が「国の最高法規」であり、法律よりも上位であることが分かります。

たぶん、私が法律を皮切りにして憲法に興味を持つようになったのは、ある種の運命のようなものなのでしょう。ですが、そうは言っても私は素人に過ぎませんし、学者のように憲法や法律を論じるつもりもありません。あくまで私にとって興味あるのは実際的な観点からです。

憲法への興味

もしかすると、集団的自衛権の問題がなければ、私は憲法に対して大して興味を持たずに過ごしていたかも知れません。しかし、2015年9月に成立した安全保障関連法の中で、集団的自衛権の行使が可能になりました。私はこの時、本当に驚きました。私が日頃接しているニュースソースでは、ほとんどの憲法学者がこれを憲法違反だと表明していたからです。(例えば、このようなものがあります。また、こういうのもありましたね。)

また、私が当時とても驚いたのは、そのような、従来の政府解釈を180°まるごと変えてしまうような重大な結論を下す課程において、違憲審査を行うべき内閣法制局が「意見はない」とだけ口頭で伝え、公文書が残っていないと言うことでした。(参考

「これまでの憲法解釈を180°変えようというときに、それを審査するべき機関が意見を持っていない?」

まず、意見がないというのはウソです。なぜならば、意見がないというのであれば、意見がないという根拠が必要だからです。つまり、問題がないというのであれば、なぜ問題がないのか、きちんと説明する責任があります。その説明のロジックだけは絶対にあるはずなのです。私はこの時をきっかけにして、政治に興味を持ち始めました。「自分には関係ない」では済まされない、何か大きな変化が起きつつある。放っておけば、日本はおかしな方向に進んでしまう。

締めくくり

随分と久々のブログ投稿になりましたが、そのテーマを法律と憲法にしました。それは政治問題と直結しており、国民性の話題にも直結しています。正直に言えば、私がこういう方向性の興味を持つとは思っていませんでした。ユング流に言えば、これが私を構成するコンステレーションの一つであり重要要素なのでしょう。

皆さんもぜひ、憲法が何のためにあるのか、集団的自衛権は日本に何をもたらすのか、自分に何が出来るのか、考えてみて欲しいと思います。日本がこれからどういう国になっていくのか、その意思決定プロセスの中に自分は入っているのか、あるいは入っていないのか、考えてみるのもいいと思います。民主主義はどこから始まるのか、そういうのも気になるところですね。

それらをすべてひっくるめて、私にとって興味あることです。それでは、また。

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